設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年9月23日金曜日

地域の風景をみながら考えること。

皆さんが生活している場所では、それぞれの特色のある風景が展開されていることかと思います。

それは、都市部、農村部、地方部、都市郊外部さまざまです。

海のある風景もあれば、山に囲まれた風景もあり、川が流れる風景もあり。

公園ひとつにしても、ディテールを考えた空間づくりをしているところには、自然と風景の一部として見入ってしまうことがあります。

栃木県芳賀町「あおぞら公園」のソーラー照明と夕暮れの風景。意外となじんでいる。


自分の地元の周りでは、下総台地と手前に広がる田園風景や、利根川をはじめとする川の風景、鹿島灘や銚子沖の海の風景、鹿島の工場の風景、小河川に展開するまちなみ風景など様々な風景やまちが展開されています。

香取市(旧佐原市)の小野川沿いの建物景

同上、川の生活景、川を活用した観光の景


【ここ何年間かで変わった地域の風景】(銚子、波崎界隈では)

昔は、なんの変哲のない田舎の風景でありましたが、風車が何基も設置され立体感が出てきたために、ちょっとした写真撮影スポットにもなりつつあります。

銚子市野尻の畑と風車のある風景

神栖市(旧波崎町)の海岸沿いの風車の並ぶ風景

地方に住む者にとって、若いころはいろんな刺激を求めて東京方面へ視点がいっていたことは誰しもが経験済みのことでしょう。しかし、大人になるとどうか?

逆に落ち着きを求めたりもすることがあります。
また、いろんな視点で都市と田舎を見比べることもできるようになります。

いろんなもの、いろんな地域を見て、見比べてはじめてわかる地元の「良さ や 悪さ」 という感じでしょうか。


それぞれの方が今生きている舞台には、人の目の中に入るものとして必ず風景というものがあります。
ただ単に仕事をし、生活に追われているということがほとんどなのでありますが、その中においてでも、少しでも物事をみること、考えることが出来る余白、ふみしろを拡大しながら自分の生活している環境について考えることは、決してつまらないということはありません。
観光などで、いろんな国や地域に出向くとき、わくわくしますよね。(^ ^)


地域をデザインすることは「風景や物質そのもの」の他に、「そこで生活をしている人のドラマや人々の交流のこと」までをひっくるめて取り組むことであり、それがいろんな要素の詰まった一地域をつくっていくことにつながります。

使われるものをつくる。喜ばれるものをつくる。
何か(何でもいいので)、明るい希望をもって取組むことは、ワクワク感を持続することにもつながり仕事や活動に対するミネラル、エネルギー(活力)になります。

自分もまだまだ完全なプラス思考とは言えませんが、プラス思考で頭の中が動くよう、また自然体で行けるように頑張りたいと考えます。


自分にとって地域の風景をつくることとは、
「人々の安らぎを与えること、憩いの場を創出すること、 何かの地域の活力の源になる空間をつくること」

これらのことを頭の片隅におきながら、日々、都市や地域を形成する空間創造の世界に自然体で取り組んでいきたいと思う次第です。

2011年9月16日金曜日

公園の設計 規格ものをつくればいいのか、それとも...

街区公園や近隣公園の設計の仕事。

街区公園は、広さ的に2500㎡(0.25ha)を標準とし、昔は児童公園と言われた部類で、ブランコ、滑り台、鉄棒、砂場などの子供たちが遊ぶ標準的なツールがありました。

近隣公園は、広さ的には20000㎡(2.0ha)を標準とする公園で、近年は防災機能を兼ね備えた公園としても整備されつつあります。


そこで、公園を設計するにあたり標準的な機能だけを盛り込めばいいのか? というのが課題となります。

公園を設計する上で、最低限守らなくてはいけないきまり(緑の面積の割合や運動施設の割合など)はあるのですが、どうもみんなが望んでいるような公園広場にするにはギャップがある。というように思います。

公園というものは、みんなが使ってくれてはじめて、整備した効果が現れるもの。
確かに、遊具や休憩施設などの公園施設は必要なのだけど、もっと自由な発想で必要なものをつくることが本来の姿であるように思います。

業務の上では、決まりに沿ってやるべきことは最低限のルールなのですが、面白みには欠けてしまいます。公共の事業なので、あまり斬新なものも出来ない。ある意味、設計者として抱えているジレンマです。


民間の開発、民間の外構整備では、その場所にふさわしい公園空間が創出されていますね。
公共だと、区画整理事業等において画一的に決められた中での公園整備なので、求められているものと、出来るもののギャップが大きいです。

なんとか、ならないものでしょうか。

縦割りの考え方、ある囲まれた考え方、パターン化されたルールの中で設計をすることは、ある意味効率はいいのかもしれませんが、物足りなさが残ります。
もう少し、まち全体の計画を見据えた公園などの公共空間づくりができれば、求められているもののギャップが少しでも解消できるのだろうと思います。
そして公園単体でなく、公園の空間がまちの中の一空間であることを認識しつつ、法的に決められた要素の他に、地域として求められているものを形づくることができれば◎に近づくのだろうと思います。


「こうしたい」という発想を先に考え、可能な限り法をクリアーさせていくという逆の考えの方が面白い、必要な公園空間ができるのではないでしょうか。

公園の設計をはじめとする空間デザイン分野の思考については、いろんなアイデア、発想を大切にしていくことがとても重要であると考えます。

2011年9月6日火曜日

既存資源を活かした 道の景観づくり

都市を形成する上で、道路の事業はなくてはならないものになっています。

交通システムの計画や交通需要などから、道の広さなどの規格が決まってきます。
しかし、そのような裏づけのみで道が形成されてしまうことが多く、道の計画地に差し掛かった歴史ある建物や樹木がバッサバッサ破壊される、伐採されてしまうことが当たり前のようにされているところも多い状況です。

まちの景観に趣をもつ自治体や文化を大切にする自治体などでは、計画において、既存の重要な文化財やまちの資源(歴史ある建物や大木など)に差し掛かる場合は、それらを避ける形で計画することや、資源を代替する、移動することにより、代々大切にされてきたものを、破壊することなく残す機運があります。


高速道路の計画においても、山間部等に道を通す場合、本来は直線的に、山を切り崩したりして道路を通すのが、交通の観点からすると効率はいいのですが、道路計画を優先するあまりに、既存の自然や文化、生活の営みを破壊することはあってはならないのです。

ランドスケープの考えにおいては、まず、道路を直線的に計画したときに問題が起こることが予測される、わかっている場合の対処法として、①道路を迂回させる「回避」、②道路機能を優先させなくてはいけないときは環境、生態系等の被害を極力少なくする「低減」、③道路機能を最優先させることで、資源への影響が多大にでてしまうときは、同等機能で置き換える「代替」という手段を講じて、資源や自然を大切にする考えが持たれつつあります。
これらの考えのことを、エコロード(和製英語) とも呼びます。


都市計画の分野においても、ペーロケでまっさらな状況で考えるのと、既存の町の文化や歴史資源を加味して考えるのとでは、土地の風景を形成する上でも、その土地の趣や歴史内容の濃さが大分変わってきます。

道路拡幅の計画においても、資源を大切にしながら計画された箇所は、往時の面影を残しつつあるので、それがランドマークともなり道路空間の質も向上します。

諏訪神社前の大木:ある意味ランドマーク的存在

山形駅~山形県庁までの道路拡幅事業において、自分が学生時代(10年前)から、いろいろと問題になっていた寺社の大木を残す、残さないの問題も、道路機能は維持しつつも大木を守り、道の景観としても活用、うまく溶け込ませた空間が出来ていたことに、非常に良かったと感銘を受けました。

歩道空間に、緑、景観という要素がより注ぎ込まれています。

一部伐採した幹は、ベンチ代わり?に活用

石のベンチよりは、この場を示す、意味するものとしてもいい。

通常、木は雨にあたると(水の吸収、乾燥の繰り返し)腐るのですが、腐らないような加工がされています。

よく見ると、年輪について年数が明記。学習にもつながります。

あまり、歴史、文化等に趣を持たない自治体でしたら、間違いなく残すことは出来なかったでしょう。
この事業を行うにあたり、いろんな立場の方々が長い期間議論と検討を繰り返したのだろうと思います。

木陰空間が少ないと言われる歩道上に、しっかり木陰空間を形成。夏場はいいですね。
都市を形成するのは、「道だけでないこと」を認識しなくてはいけませんね。もちろん、建物だけでもない。木1本においても、いろんな意味(機能的意味、文化的意味)があって植えられていることもある。

土木的な発想だけでなく、まちの形などを複合的に考えていくことができれば、同じ道づくりでも趣のある道路空間が出来、魅力ある都市空間の創造に寄与するものとなります。

2011年9月1日木曜日

宇都宮市における 都市魅力の創造へ向けて

9月1日、宇都宮市総合文化会館において
都市交通システム講演会「うつのみやが目指すまちづくりと公共交通ネットワーク」と題しまして、宇都宮市長でもある佐藤栄一氏が講師となり、うつのみやのまちを考える講習会が開かれました。



宇都宮は栃木県の県庁所在地でありますが、宇都宮という地名は聞いたことあるけど、何県?にあるのという感じで、知名度は仙台や横浜といった都市と比べると少し陰が薄い感が拭えません。

しかし、生活のしやすさなどを全国指標で見た場合、「住みよさ、民力度、財政健全度...その他いろんな項目」が1位になっていたり、上位を占めている都市としては実力のあるところが うつのみや なのです。

栃木の県民性は、典型的な「出る杭打たれる。突出した考えが出てこない」といった状況で...
立地条件や自然条件、交通条件など、全国的に見れば好条件な土地であるにもかかわらず、突出した魅力が無い、影の薄い もったいない都市 とも言えます。

「住めば愉快だ 宇都宮」がキャッチフレーズになっています。

栃木に住む、いろんな考えを持つ人、技術者がいたとしても、それをまとめる、引っ張っていくことが出来ずにいます。他の県民、他県から栃木県へ入ってきた人の印象から見ると、才能、発想という芽があっても育てていくということがうまく出来ない。と見られがちです。

今までどおりそのままで流されていていいか? そうではないはずです。
そそままそっとしておくだけでは今までと一緒です。

せっかく、好条件の整っている都市うつのみやが埋没しないよう、いろんな(要素の)仕掛けを先取りしてやっていきましょうとの趣旨でした。

そりゃぁ そうです。

いつも栃木は、他県の事例が出たとたんに急いでまねをして取組んでやったとしても、注目の機会を失ったり、ある意味大損しています。いつも二番煎じ。
こんな都市では、若者が魅力が持てることはありません。物足りないです。多少のプレッシャーがあっても知名度の高い、ステータスのある都市へどんどん流出してしまいます。


交通のことしかり、その他にもいろんなことを改善していく必要があります。
今までと同じような、従来の土木的発想で整備したらおしまい というのではなく、それを活用して持続可能な仕組み(サスティナブルなまちの構造)を創り、運用していくことが重要です。
構造物単体をつくるのではなく、それぞれのハード的資源をいかにネットワーク化、システム化していけるか。ソフト的観点がいかに連動し盛り込むことが出来るか。


今までは、そのものを単体で考えてつくったらおしまい、というような感じでした。
しかし、都市や人々の生活の場を創造していくことについては、つくったらおしまいでは無いのです。
先を見据えた都市システム、都市空間の創造をしていく必要があります。

ランドスケープ的な発想で、ヒューマンスケールの心地よい空間づくりも重要な要素のひとつであると考えます。その観点が大都市部と比べると抜けています。

栃木県民、宇都宮市民がいかに意識を変えることが出来るか?

今後の動きが楽しみです。