設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年4月28日木曜日

公園設計のしごと

公園という空間は、人々の憩いの空間であったり、子供の遊び場空間であったり、待ち合わせの空間であったり多種多様な空間であります。

土木的に考えてしまうと、どうしても構造物の配置、構成に目が行きがちになりますが、単純に規格どおりにつくったのでは、ランドスケープ分野の設計としては、土木領域を脱していない設計となってしまいます。

単純に、機械的に設計をすればいいかというと、そうではなく、「かたち、使われ方、地域のニーズ、地域ごとに設定されている特別なきまり」などいろんな要素を考えていかなければなりません。
そこが、一般土木的な道路、河川のような土木設計と異なる点であります。

公園の設計をする技術者として、構造に強いということはひとつの武器にもなりますが、それにプラスアルファの要素を求められます。
その要素としては、文化的感覚、感性などの分野が求められることがあります。
普段の生活のことから学ぶこと、人々の生活のことなど身近なことからも設計のヒントがあることでしょう。

日本では、官公庁の枠組みからみても、まだまだ土木の一領域の枠から脱していませんが、本当は目には見えないところでの苦労がある、きめ細やかな繊細なる設計の仕事であるのです。
作業量も、通常の土木設計と違い、規格に当てはめてけば終わりというわけではなく、場所ごとの特性も勘案しなくてはならないので、ひとくくりにパターン化がなかなか難しい設計領域であります。

土木的設計技術も必要でありますが、建築的な空間の捉え方も必要な、微妙な位置づけ(中間的な位置づけ)でもあるのが造園(ランドスケープ)分野の特徴です。
公園のプランニングには、それぞれの設計フィールドごとにいろんな特性がある。
わび、さび がある。そんな、世界であります。

「ほう・れん・そう」 設計のしごとでも必要な手段

仕事をする上で、とても大切なこととして、「報告、連絡、相談」(ほう・れん・そう)という言葉があります。

同じ仕事をチームワークで仕事をするときや会社を超えて(発注側、受注側、元請、下請けなど)仕事をするときは、特に注意をしたいことであります。


自分の力で、業務の全てをこなすことができる場合は、自分の中で完結しているので大きなトラブルになりにくいですが、複数人で仕事をする場合は、作業分担をしていることもあり、仕事を完結させることはとても難しいことであります。

そういったときに必要なのが意思疎通。
「何も言わなくてもわかっているだろう」  「言ったつもりになっていて実際は言っていなかった。忘れていた」 というのでは、残念ながら意思疎通は出来ていなく、仕事の歯車はくるってしまいがちで、進んでいるようでも滞ってしまっているのが事実であり ます。


分業した仕事、作業を第三者へ依頼した仕事というのは、自分でコントロールしているわけではないので、なかなか思うようには動きません。

設計の仕事は日々膨大な仕事量をこなし、そして現在進行形で仕事に追われています。
自分のためにも、相手のためにも、わかっているのに間際になってから、相手へ突然に仕事を振ることは多大なロスともなるので、気をつけたいところであります。


他人を振りまわすだけの技術者にならないよう注意することは、「信頼を得ること、相手を動かすこと」にもつながり、信頼される技術者へなることへの一歩であります。


【これから、仕事をはじめる若手技術者へ】
仕事は、いろんな人が絡んで、協力しあって、はじめて事が進みます。
そして、もちつ、もたれつの関係も生まれます。
(「やってもらいっぱなし」は、最終的には相手方から見放されてしまいますので注意です。)

相手があってこその仕事でもあります。ものごとを動かすための手順もあります。
意思疎通は、上下の関係なく、お互いが気をつけるべきことであります。
人を動かすことは、「強引さだけでは動いてくれない、控えめでも逆に動いてくれない、ほどよいころあいがある」 のが事実で、とても難しいことです。

経験的には、仕事がうまくいっている物件の状況をみると、お互いの意思疎通ができていることが言えます。
「ほう・れん・そう」 これが、お互いが気持よく仕事できるためのポイントです。

2011年4月27日水曜日

プランニングは平面だけでなく、立体的に考える。

道路などの土木構造物はじめ、都市や公園などの空間設計においては、平面形状においてレイアウトを決めて構造物を配置していくといったことが行われています。

平面形状において、スッキリとしたきれいなレイアウトはとても大切なことでもあります。
次のステップとして忘れてならないのが、立体的な配置計画です。

道路においては、どちらかというと線形の計画が主となりがちで、立体物については照明や歩道橋などポイント的な構造物となり、なじみが薄いことかと思います。
公園などの都市施設では、面的な計画であり連続する立体構造物の配置やデザイン要素を求められます。
分野はどんなことでもあれ、基本は同じでしょうから、単一的にだけでなく立体的に形や物事を捉えることは重要です。



方法論としては、面的な計画をある程度詰めたら、次のステップとして立体的な計画をします。
そして立体的な計画をしたら、面的な計画へまたフィードバックします。繰り返しながらだんだんと完成形の計画を詰めていきます。

例えば、都市施設としての中・大規模な公園では、広い敷地をフィールド、題材として考えることをします。平面的に空間のアクセスを考えたとしても、立体的には繋がらなかったり、摺りつかなかったりもしますので、3次元的に考えていくことが必要であります。

視野、幅を広げて考えていくことは、まとまりがつかなくなることもありますが、考えられる要素を一度洗い出して、それから必要なものを取捨選択し、役に立つものをつくるといったことについては、プランニングでは、重要な要素のひとつとなっています。


それを、自然と感覚で行えるようになるには、日ごろからの訓練と蓄積でしょうか。
経験は力なり。 ですね。


若いうちは、とにかくやってみて、いろんな壁を乗り越えてください。
それが糧となり自分の力(宝物)になりますので。

2011年4月26日火曜日

日々、知識の積み重ね そして感性の研鑽

どんな世界(仕事)においても、働いている以上は勉強や知識の積み重ねが必要であります。

学生時代に勉強をしたから、社会人になってからは勉強をしなくて良いかというとそんなことはありません。

地位的に上の立場の方は、掛け声だけで資格を盾に何もしないことがありますが、結果的にそういう技術者は淘汰されてしまいます。
(世間を騒がせている方々と重なってしまいますが...。)

人を叱る前に、自分のやっていることを良く見ることは、重要でして。
人の批判は簡単でも、自分のやっていることが伴っていなければ、いろんな意味で(叱咤、批判に対して)効果なしです。 受けた側も困惑します。

下積みや現場を経験した人ほど、上に立ったときに下の立場の苦労や、細かいことまで目線が行きます。そして、気配りも出来るようになります。
(目指すべき技術者像)

勉強、知識を積み重ねること、研究心を持ち続けること。
「もの」や「かたち」に対する表現について、日々感性、感覚を磨くこと。
設計を生業にしている技術者だからこそ、こだわりを持って。

空間をデザインする仕事は、ある意味「芸術」と「工学」の融合を目指します。
(学生時代の、大学の合言葉? だったでしょうか。)
見た目の形と機能のバランスも大切なのです。

2011年4月25日月曜日

気持ちのこもった計画を

震災後の計画について、様々な分野で議論がなされております。

震災にあわれた方々においては、現在もなお、希望の兆しを見ることが出来なく苦しい状況が続いております。

復興を考えるにあたり、都市の計画から道路、水道などのライフラインの計画、防災の計画など多岐に考えるべきことがあるのはご承知のとおりですが、空間を扱う技術者としては、ランドスケープの観点からは、その土地の記憶や文化、住民のよろどころ、「コミュニティー文化」を大切にしていかなければならないと思います。

地域の文化は、少し土地が離れるとだいぶ違うこともあります。住んでいる人で無いとわからないこともあります。大きなベクトルのもと進めるべき計画と、小さなベクトルで進めるべきものを明確にしながらやっていくことが望まれるのではないかと思います。

空間を扱う技術者としては、どんなことであれ「いろんな気持ち」を大切にしながら日々業務に精進していくことが必要であることを再認識しませんか。

2011年4月21日木曜日

震災で発生した瓦礫の再利用について (大谷石について) とちぎの場合は

栃木県には、宇都宮に大谷石の採掘場がある関係で大谷石の蔵や塀、門扉が数多くあります。

県内では、県東部および県北部を中心に屋根瓦の落下や大谷石塀の倒壊が多くみられています。


(ハード面で考えると)
通常は、産業廃棄物として処理されてしまうこともありますが、全てを処理してしまうのは「もったいない」ことであります。また、多大な費用が嵩んでしまいます。

塀などの構造体として使えなくとも、敷材への転用は可能です。
車両が載るところにおいては十分な検討が必要ですが、歩行者路程度でしたら十分に使用できます。
そして、大谷石の表情はいろんな模様があって豊かです。

有名建築や高級住宅の壁などにも大谷石は使用されています。
これから設置される公園や外構空間にこれらの大谷石を使用(転用)することは、空間の質を高めることにもつながります。

今は、リサイクルの時代。廃棄することへエネルギーを使うより再活用することにエネルギーを使いませんか。

2011年4月20日水曜日

資格もいいが、内容で誇れる記憶に残る技術者になろう

仕事をする上で、資格はなくてはならないものになっています。
ランドスケープの世界では、技術士はもちろんのこと、RLAやRCCM、土木・造園施工管理技士、建築士などの資格があります。

地方へ行けば行くほど、資格=仕事ができる と思われがちでありますが、実際は、資格を盾に下請け会社、部下などに作業を任せ、自分の手柄にしてしまうといった社会的にも、人間的にもあまりよろしくないこともあります。

結果として、きちっとした仕事、きちっとした内容をする技術者や会社よりも、資格者はいるが、実は仕事はあまり 出来ない技術者や会社が上のランクにいることも。世の中の不条理であります。
(最終的に、表面だけ磨いたとても中身が伴わなく、相手方をがっかりさせてしまう現象が起きています。)


【人々の記憶に残るもの、記憶に残る技術者は】
それは、技術者個人が資格を持っているだけでなく、人々が活用できる空間やものをつくりあげることであり、表面よりも中身がきちっとした方が、いろんな面で人からも感謝もされ、長く記憶に残ります。

あくまでも資格は、その人の技量を測るためのひとつの指標にしか過ぎません。
資格を誇れるのは、きちっとした仕事をこなしてこそ、はじめて誇れるものであります。

人々の記憶に残る人物は、資格うんぬんよりも、「何をしてきたか、人々の心に残るモノをつくってきたか」 であります。

資格を取得したことを誇ったり、目的とするのではなく、その先のやった仕事に対して誇れることをしましょう。その方が、部下を持ったときには尊敬できる上司となることができます。
設計集団として、団結してやっていくのなら、お互いが尊敬できる存在にならないと空中分解してしまうこともありますから。← キーポイントです。
(資格を持っているだけでは、自慢にもなりません。その資格をはじめて行使できて、目的としたものが出来てこそ 真の技術者なのですから。これから先を担う若者へは、名前負け(資格負け)する技術者にはならないようになって欲しいと思います。)

資格をとったら、今度は内容で誇れるように。
(普段の生活の中でも共通して言えることです。)
このきびしい世の中で、業界を生き残っている技術者には、何か秘めているものがあります。

一技術者として、自分にも言い聞かせて頑張らなくては。

公園設計における設備計画(電気・水道・雨水・汚水の平面配置)について

公園設計において、どうしても空間のおさまりや形に集中しがちですが、もうひとつ忘れてならないのは、設備の計画があります。

大学などでは、取り掛かりとして空間のおさまりや利用の仕方、空間のありかたなどデザインを含めて考え方を設計課題などで訓練しています。
そして、設計・計画・デザインに対しての考え方を教わり、身につけていくことをします。


空間設計の仕事においても、どうしてもそちらへ重点をおきがちになってしまいます。
(もちろん、空間のありかたやおさまりを重要視することは必要なことで、これを忘れてはなりません。)

実際に設計となると、設備のことも考えなくてはならなく、公園灯を設置するために電気を引かなくてはならないこと、水のみを設置するための水道を引かなくては ならないこと、公園内に降った雨を池や側溝へ流さなくてはいけないこと、雑排水を汚水管へ流さなくてはいけないことなど があります。
水を扱う施設「噴水などの水景施設」では、もっと複雑で難易度が高くなります。

設計においては、設計者自身で全て行うことが出来れば問題ないのですが、公園の設計は広い分野を扱うことから、空間のこと、形やデザインのこと から 設備のことまで なんでもできる技術者は稀であります。

ほとんどのケースでは、設備についてはそれぞれの専門の設備設計へお願いしています。もちろん、自前で行うこともあります。
そのときの注意点としては、ほとんどはそれぞれが独立して設計・計画してしまうので、埋設位置が重複したり、必要な離隔(りかく)「管と管との離れのこと」 が確保出来ていない ことがしばしばあります。


施工時になってあたふたしない為にも、設計のときからきちんと整理していくことが必要です。


それそれの設備設計が出来た時点で、一度平面図を重ねて見るとよくわかります。
たいていは、位置が重なっていたり、構造物を避けきれていなかったりしています。
公園・外構などの園地計画で同じ様な設計をされている方がいらっしゃいましたら、埋設位置の調整作業を忘れないよう、注意してください。

2011年4月19日火曜日

学生のころから使っている?道具

私が、学生のとき(1990年代)は丁度コンピュータが活用されてきた最初のころでした。
徐々に、コンピュータが進化してきましたが、大学の課題作品は手書きとコンピュータ出力を併用していました。

2000年以降、私が社会人になってからは、CADを業務でも頻繁に使うようになり、今ではプレゼンの資料なども、CADやイラスト作成ソフトなどをフルに活用している状況であります。

学生のころに使っていた コピックペン(たまに使います。)

補充液も健在。ドラフティングテープもあります。
たまに、手書きでゾーニング図を描いたりもすることがあるので、学生のときに使っていた道具を活用することがあります。
最終的には、提出書類としてはコンピュータで清書しますが、急いでいるときやコンピュータが使えないときには重宝します。
アナログな道具も捨てたものじゃないなと。

2011年4月18日月曜日

とちぎの公園の紹介 ~栃木市:大平運動公園~

栃木市の大平地区(旧大平町)にあります、運動公園内のエントランス空間がリニューアルいたしました。

噴水周りのリニューアル(昨年)と今回、遊戯広場が新たに設置され、休日は多くの子供たちでにぎわっています。

遊戯広場として、複合遊具とシェルター、ムービング遊具が設置されました。

複合遊具は、背景の緑モチーフにしており、新緑の緑と屋根の緑とが重なるようにしています。
また、今まであったせせらぎ水路と新たに設置された遊戯広場において行き来できるようになりましたので、空間として一体感がもたれています。

お近くの方は、ぜひ一度足をお運びください。

【ここまでは、会社のブログと同様です。 以下追記】

予算の無い中、コンクリート製品とを組み合わせて渡り橋をつくりました。

これらの、計画から実施をするにあたり、役所の担当者様および、遊具メーカー様のご協力があって、いろんな要望や考えを汲み取っていただけたからこそ、設計意図に沿ったものが出来たと思います。また、設計図を基にこの工事を行っていただきました施工業者様のご協力もあり、みんなが活用できる遊戯広場が出来たと思います。

どこかで、手を抜けばあべこべなものになってしまいます。
遊具を扱うメーカー様は、設計の意図を汲み取っていただけることと協力的であること、
役所の発注者様は、設計の意図を汲み取っていただき、また、実行へうつしていただけること、
施工業者様は、設計の意図を理解しながら、技術を注ぎ込んでいただけることがあってこそ、きれいな公園空間が出来上がります。
(今回は、皆さんが協力的であったのでこちらとしても心が救われた限りです。)

北関東は、南関東(東京や神奈川など)と比べ、公園行政においては後発的であります。
しかしながら、デザイン意図を汲み取っていただける自治体もあります。
今回は、役所担当者様のご理解と熱意があったからこそ実現できたものです。

「このような担当者に出会えれば、北関東も捨てたものじゃない!」
そして、感性が合ったからこそ、考え方など理解していただけたものだと思います。


今回、いろんな方々にご協力とご理解をいただけましたことを、ここにお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

2011年4月17日日曜日

公園工事における工事費算出 ~設計からの視点~

地方における公共の土木設計の世界では、一般的に基準に則り、図面の作成、数量の算出まで行ったところで、発注者側へ納品となり、発注者側で工事費を算出するのが一般的となっています。

公園設計の世界では、設計側である程度の工事費算出(あくまでも概算レベルまで)を行う場合があります。

公園設計の場合はある程度の工事費を見据えながら、空間をイメージしつつ、帳尻あわせを行うといった感じで、通常の土木設計と比べますと、違った意味での労力を消費します。

では、一度ベースを作成すれば、後は作業が軽減できるかというと、そうではありません。
毎月、毎年、資材単価は変わることや、労務単価も定期的に更新されます。
また、公園別によって使用する工種が多岐に渡るので、ひとまとめにすることは経験と知識が必要です。
そして、見積もりをそろえればすぐできるかというと、そうではなくそれから先の作業(詳細の工種の組み立て)が必要であります。
(積算システムを用いることができればいいのですが、システム自体が高価でもあり、公園設計を行っている小規模な会社や個人経営者ではそこまでの投資ができないのが現状であります。)

2011年4月13日水曜日

春の門出 ~春の風景~

日本の春の風景は、東日本では標高の高い山に残雪が残る中、暖かい太陽が降り注ぎ、タイミングがよければ空が澄み、サクラの花が咲き、タンポポの花や菜の花が咲いており、きれいであります。

たんぽぽの花 黄色が鮮やか


春の景色は、日本ではこれからの門出のようなもので、新たな出発を意味します。

花も太陽へ向かって、希望を持って生きようとしています。


いろんな困難なことも多いですが、頑張っていきましょう。

2011年4月10日日曜日

同じ仕事でも 目的や視点の違いによって大きく質が異なってきます。

日常の仕事の中でも、図面作成、数量計算作成、工事費算出、協議資料作成など膨大な量をこなさなくてはなりません。

ですが、目的は何かを考えて仕事をするのと、考えないで仕事をするのでは、同じ仕事でも成果品の質が異なってきます。

設計においては、
設計の成果品をつくることが目的なのか、最終的に構造物をつくるのが目的なのか、人々に利用しやすいものをつくるのが目的なのか、社会的に貢献するものをつくるのが目的なのか、風景をつくるのが目的なのか によってだいぶ変わってくることでしょう。


橋梁の設計においても、最近は女性の技術者が増えています。
今までは、男性的な視点で構造がもつかどうかという視点でつくられていましたが、今の時代はそれを超えて、その橋をつくることでその土地の風景をつくる、人々の活動のチャンスを広げるといった視点に変わってきています。

土木の設計においては、
構造令に則り、設計を行うことが一般的ですが、そこに目的の構造物を造る事によってどのような効果が得られるか、便利になるかを考えることができれば、より効果のあるものを提案できることかと思います。目的は構造をつくることではなく、造る事によって利便性や安全性が向上するという考え方にしたほうが、設計の魅力が向上することでしょう。

建築の設計においては、
これも、基準法に則り設計を行うこと、ルールに則り設計を行うことが一般的ですが、人々が集まる建築構造物には、斬新なデザインと居心地の良い空間づくりが行われています。

公園の設計においては、
遊具の設置に関しては、安全領域や安全設置基準に則り設計を行いますが、子供たちが面白く、冒険をしながら、心身の成長を促すことが目的とされます。
単純に遊具をおけばいいかというとそうではなく、その中でも遊び方のおもしろい仕組みづくりが必要になっています。

設計の目的は、必要な成果品を取り揃えることの他に、ものをつくることによって環境を改善していくことが大きな目的であります。
そして、その目的を果たす為に、必要な書類や図面、計算書を作成するという考え方であれば、必要なものを無駄なく取り揃えること、準備できることになります。

作業の目的の先にある、本当の目的を見つめてみましょう。

設計だけでなく、生活の場面においても 「目的は○○で、必要な手段は□□」ということは変わりないのですから。

2011年4月8日金曜日

次の世代を担う若者へ 技術継承をするために

どんな会社や業界であれ、若いフレッシュな技術者は毎年のように希望をもって入ってきます。

その中で、経験を持った技術者が退職、うまく下へ伝えることが出来ない技術者などによって、技術の伝承が行われず、結果的に会社や業界全体のマイナス成長に陥ってしまうことがあります。

職人の世界では、技術は目でみて学ぶ、いろいろ聞き出して技術を盗む、学ぶことが求められます。設計についても同じようなことが言えることかと思いますが、技術の伝承、将来の日本の技術のことを考えれば、「下のものに教えない」というのは、今の時代にはなかなか受け入れられません。業界全体として時代のスピードにも追いついていけなくなります。

下に教えると、すぐに抜かされてしまうから教えない。という技術者もいます。
それはそれでいいこともありますが、教えられないから教えないでは、今業界で働いている技術者としては日々の成長を怠っていると言われてしまっても仕方ありません。
(結果、そういう技術者は、すぐに下に抜かされてしまい、立場がなくなります。)
逆に教わってばかりの若手技術者も、考えることを怠ってしまうので結果として成長できません。


上、下かかわらず、現役で働いている技術者は、常にアンテナを張って新しい技術のこと、新しい考え方などの新しい引き出しを増やしていくことが必要です。

上に立つ技術者は下へ「教える」。伝授される側は、どうしてそうなるのかを「考える」ことをする。逆の立場もあり、下から上へ教えることも。
業界のことを考えれば、どちらも必要なことです。お互いが切磋琢磨しなければなりません。


現役の技術者として業界内で生きていくのであれば、勤めている限り、「伝授するということ、学んでいくこと」は永遠のテーマであります。

2011年4月7日木曜日

ランドスケープアーキテクト ランドスケープデザイナー の役割とは

日本においては、まだまだなじみの薄い「ランドスケープアーキテクト」という技術者。

アメリカなど海外においては、日本で言う一級建築士と同等な技術者として認められています。

日本では、建築>造園 という感じであり、トータルプランニングの位置づけが重要視されていません。
本来は広い意味でのグランドデザインをきちんとし、その上で建築構造物・土木構造物などを適宜ルール決めをし、トータルにおいてバランスの取れた、機能的でもあり、美しい、心地よい空間をつくっていくことが必要なことであります。

ランドスケープデザインとは、人々の生活空間における環境デザインでもあり、専門の技術者として建築士と同様にトータルプランニングを行う者の地位的確立が必要でもあります。

日本においては、まだまだ大学などの研究機関に携わる者しか、トータルプランニングの重要性についての認識が備わっていないというのが事実かと思います。

産・官・学が垣根を越え、これらの分野の位置づけを 確立させることが必要であります。そして学術的にも、業務的にもあやゆる分野において広く専門性をもって取り組むことがこれから必要であります。

実は、ランドスケープデザインは、計画的なものもあれば、植物などの生態的なもの、 都市的なもの、自然的なものなど広い分野を取り扱うものであります。
デザインが得意な人、計画が得意な人、生物が得意な人、地理歴史が得意な人、 風景形成が得意な人 いろんな分野を得意とする集団であります。

どちらかというと、広い意味で空間を捉えながら、ディテールや細かいことまで目を配ることができる技術者集団であること をランドスケープデザインにかかわる技術者として業界全体に望みます。

2011年4月6日水曜日

コンサルとして 日中の勉強、講習会参加も必要です。(そして、日々の業務も重要です)

地方では、まだまだ勉強に関して理解度が得られないところが多々あります。
まずは、会社の利益を重視というところから頭は離れません。

しかし、第一線を戦っているコンサルタントについては、日々の勉強と業務をバランスよくこなしているのも事実であります。

複数の業務を、同時進行で自ら進めなくてはいけない技術者は多くいます。
そして、講習会参加などについて理解の無い会社も地方にいくほど多くあります。


では、仕事をこなすことだけしていれば「技術力、応用力、考える力、仕事を推し進める力」がつくかというと必ずしもそうとは言い切れません。
結果的に、仕事だけの知識とプラスαの知識があるのとでは、仕事のスピードは格段に違います。
知識の蓄積、仕事のスピードが速ければ、結果的に会社の利益もあがることでしょう。


技術者個人としてはどうか。
日々、膨大な仕事量を抱えながらも、仕事への影響を抑えながらもやりくりをうまくし、業務的にも、学術的にもバランスをとりながらやっていくことが鍵となります。
(個人の裁量にもよります)
ランドスケープ等の仕事は、単なる、仕事をこなすだけの作業者ではないのです。日々の仕事もこなしながら、空間のこと、社会のこと、生活のこと、あらゆることを考えていく仕事であります。

最近の動きとしては、有資格者に限らずCPD取得を促す動きが見られます。

それは、継続的に最新の技術や考え方を学んでいるかを客観的に見るものであります。
最新の動向を把握しておけば、問題に遭遇したときに解決策の糸口を探ることや、打合せ時にも、説得力の在る説明をすることが可能であります。


仕事を極めるということは、仕事をするかたわら、同時に情報収集、勉学にも励むということです。
実は、学生時代の勉強よりも社会人になってからの勉強の方が多いのです。

第一線で戦っていくには、いろんなことに興味を持ち、考えていくことをしなくてはならないこと は言うまでもありません。
そして、時代のスピードに勝ち抜くにも必要なことであります。
(すぐの対応が求められる時代ですし。業務的、技術的にも学術的にも双方の知識があればOKです。)

2011年4月5日火曜日

防災機能をもつ公園の設置箇所

日本における公園の設置箇所は、区画整理などで生成された区画地の住宅としては適さない箇所や、形状として不定形な箇所になりがちであります。

これは、公園という空間の位置づけが住宅地などと比べて重要度が低い、あまり重要としては位置づけられていないということがあげられます。

本来は、公園というものは、市民生活における憩いの場であることや、震災時の防災拠点の役割など日常生活においての重要な空間であることは間違いないはずです。

防災拠点となりうる空間(公園)においては、まとまった広さの確保の他に、地震や津波等の影響が周辺と比べて受けにくいところ、物資の輸送などにおいて輸送経路に比較的近い、利便性の高い箇所に設置がされることが必要になってくることかと思います。


公園という空間は、住宅と同様にひとつの空間として同等な、もしくはそれ以上に重要な空間として位置づけられることが、人々の暮らす生活空間の形成に役にたつのではないでしょうか。

春の息吹

4月になり、例年と比べますと寒さは残りますが、だんだんと暖かくはなってきました。

そして、関東でもサクラもところどころで咲きつつあります。

宇都宮二荒山神社境内 (4/5 17:30現在)

日本という国土。
四季折々の花の色を見ることによって、風土や季節感を感じることができるいいところでもあります。

つぼみからもう少しで花が咲きます。(4/5 17:30現在)

震災に負けないように、みんなで力をあわせてがんばりましょう。

2011年4月2日土曜日

盛土地形における被災状況

今回の震災において、栃木県内も県北、県東を中心にブロック・大谷石塀、屋根瓦の崩落、地盤の崩落などみられています。
(栃木県内は、今回の地震では震度6強でした。)

基礎地盤が岩盤のところは、被災が少ないのですが、造成地形において盛土形状のところは100年以上前の造作物においても土壌の崩落がみられます。
城跡など、昔の敵陣が入ってこないように急斜面で造られた土塁は、何百年も経って土壌が安定したかと思っても、ひび割れや部分的崩落は免れませんでした。

土塁の崩落 下に民家があると二次災害の危険がある。

その中でも、かろうじて高木の根によって周辺を脅かすような崩落を防いでいることが見られ、高木や地被類(芝・ササ類)が無かったら被害はもっと大きかったのだろうと推測できます。

植栽の力は少なくとも、自然の脅威に対しては、崩落の防止に一役、働いていることを改めて感じ取れました。
コンクリート等の土木構造物においては、許容範囲を超えてしまうと倒壊や崩落が顕著に見られ、一定の力以上加わると、一気に崩れてしまう症状が見られます。

かろうじて、高木の根によって崩落は防いでいるが、今回の地震の大きさを物語っている。


ランドスケープとしては、自然環境と土木・建築構造物、空間のありかたなど多岐にわたり考えていくことが改めて必要であると感じます。

復興へ向けて、これから先いろいろと考えるべきことは多くありそうです。