設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年12月28日水曜日

年末ですね~。

やっと、落ち着きを取り戻しつつある といいたいところですが、年明けたらやるべきことが沢山山積みな状態です。

自分のことや頼まれていることなどが、全然手付かずの状態なので、この年末年始にやらないといけないなぁと思っているところです。


今日は会社の大掃除。

お昼は、会社の近所の蔵づくりのお蕎麦屋さんでちっと早い年越し蕎麦?を。

会社近所の三峯神社(正月用に飾りが添えられています。)

蔵づくりの手打ち蕎麦屋 その名も「蔵」

箸入れもレトロな感じ。

手打ち蕎麦とミニ天丼(ミニ天丼には玉子が入っている)

 午後は、会社玄関周りの花を植え替える園芸作業を。

ビオラなど植えました。

今回の休みは、思いっきり土日に被っているので、長くは休めません。
本当は、ゆっくりして過ごしたいのだけど...。


この休みで、すこし気持ちがスッキリ出来そうかな?
できるといいなぁ。と思います。

2011年12月25日日曜日

屋外空間の散策 ~宇都宮 釜川周辺を中心に~

もう少しで今年も終わってしまう状況。

しかし、やらなければいけない仕事は山積み。
今日も、少しでも仕事を進めるため、会社へいくのですが...。

ただ何もしないで出勤するのは、せっかくの休日なのにもったいない。
そうだ、街中を散策しながら会社に行ったほうが少しでも気がまぎれると思い、仕事前に自宅~会社までプチ街中散策を実行いたしました。

自宅近くの国道の街路樹。
ユリノキが無残な姿に。
強剪定により、樹形がさらに崩れてしまっている。実際のユリノキは円錐形の大きな樹木なので、狭い街路樹としては不向きなのだろうと感じたりも。もう少し、ゆったりとした場所が大きくなるユリノキのためにもいいかもしれませんね。

電線に引っ掛からないように剪定をしているのだが、ちょっとかわいそうな。

しばらくして、宇都宮大学あたり。
ここは、大学構内に西洋式の庭園があります。たしか一般開放もしていたような。
 
宇都宮大学 峰キャンパス

市内を流れる田川
宇都宮の駅の目の前を流れる川でもあります。都市中心に川が流れている風景はいいですね。

田川に架かる いちょう通りの洗橋

宇都宮市内を流れる田川

余談として、駅前を流れる川のある都市として、盛岡も有名ですよね。(駅前なのにサケの戻ってくる川としても。子供の頃は住んでいた波崎(茨城)や小見川(千葉)から祖父母や親戚のいる盛岡へ行くのが楽しみでした。駅前の開運橋からの眺めがいいな(北上川と岩手山への眺望がいい)という思い出もあります。しばらく行っていない盛岡のまちもゆっくり歩きたいこのごろ。)


しばらくして上河原通り
宇都宮は、実は自転車道整備延長が全国のトップクラスだとか。
ブルーの自転車通行帯があります。

上河原通りの自転車道


そして、今日の最大の目的 「釜川」 に


この川は、土木的にみれば、2層構造の川(上部:親水的利用、下部:治水的利用)であり、造園的に見れば、有名な先生(伊藤邦衛先生)も手がけた作品でもある河川、プロムナード空間です。

歩行者プロムナード空間
釜川沿いのちょっとした広場

新宿の歌舞伎町横にある新宿遊歩道公園(歩行車道)も雰囲気が似ているような...。

親水空間の下に埋め込まれている水路は洪水時に大量の水が流れるような仕組みとなっています。
造園的な和風の空間があったり。
用水路を造園的な演出で、魅せる空間にしていたり。

過去(4月下旬)に、新宿遊歩道公園は日中に先輩と一緒に歩いてきました。ちょうど、造園学会の震災後のシンポジウムがあったころ。




釜川の改修した時代(当時)は、宇都宮でも思い切った環境整備をしていたように思います。
ある意味、都市の魅力を創出し、現代まで引き継がれていますね。

釜川沿いの歩行者空間は魅せられるものがたくさん。

このようなまちの魅力を生み出す空間の創出を、必要としているところで行えないものかと思います。
ひとつの歩くまちの魅力を演出。

ランドスケープ分野の空間手法をもっとまちの中にとり入れて賑わいや安らぎのある空間づくりをしていければ、その土地の魅力度はきっとUPすることでしょう。

2011年12月24日土曜日

活力の源、原点は大学での経験にあり

昨日は、大学の恩師の先生と共に学んだ同士でちょっとした集まりが開催され、東京までちょこっと足を運んできました。

おなじみな顔ぶれ、懐かしい顔ぶれ、新たな後輩のつながり。

御茶ノ水駅近くのスペイン料理屋さんにて 中央線の真下(レンガづくりの高架)いい雰囲気

このような集まりにおいて、大学で共に学んだ者同士が話をすることによって、
環境をデザインする仕事をしていくことへの活力をよみがえさせられる、貴重な大切な時間を過ごすことができました。
料理もおいしい!! 綺麗に食材が並べられているのもある意味感性を活かしたデザイン

東北の震災の話、防災の話、そしてこれから進められるであろう津波の考え方の整理と対策のことまで。 また、ざっくばらんな話も。

懐かしい写真をスライドショーで


恩師の先生は、75歳を超えてまでも、アイフォンやアイパットを使いこなしている。
さすがです。そして、積み重ねてきたものを大切にしながらも時代の変化にも常に追従している。
自分の仕事でのまわりの60歳代の方は、先生と比べればまだまだ若いのになんだかしぼんでしまっている。

自分は、大学時代にいい先生に教わることができたことが、志をもってこれからも精進しようという力に結び付いている。そして、新しい視点でいろんなことへ取り組む姿勢のあるいい大学であったとも思う。母校の存在や先生、大学で一緒に学んだ同士がいることは、心が折れそうになった時でも励みになっている。
いろんなことが複合的にからんでいることが、結果として支えあいの精神へもつながっているのだと感じる。


先生のようにいつまでたっても、常に新しい事に取り組む姿勢を忘れずに。

いろんなエネルギーをいただきました。

先生はじめ、集まってくださりましたみなさん、いろいろとありがとうございます。
大切な絆でもあります。



今回、(参加したくても)諸事情で参加出来なかった方も心はひとつ。
次回会えるのを楽しみにしています。

そして、ゼミ生や先生を慕う方々への連絡体制の確立も図らなくては...。
また、集まりましょう~。(^ ^)

2011年12月23日金曜日

いろんな意味で、実践から得るものは大きいのだ。

世の中のあらゆる業務やイベント、設計の業務でも共通していえること。

それは、実際にその仕事などに携わることによって、本質は何であるか見極めることができるか にあります。

やってはいけないこととして、部下や下請けに仕事の全てをやってもらい、下積みの経験がないコントロールする側が、業務をひっちゃかめっちゃか(かきまわす)にすること。

実際に実践してきていれば、
その業務の1パートに 「どのくらいの考える時間が必要で、技術的にはどのような方法で解決ができて、つくり上げる、組み立てていくにはどのくらいの時間がかかるか」 が読め、コントロールする側にたったときにも、業務をまとめる力が自然と備わってきます。

業務の本質を知らずに、仕切ることだけを考えると目的から逸脱されがち。
そして、時代がどんどん進む中で、業務の形態も変化しているのですから、過去の経験は活かせるにせよ、時代に追従でき、対応できること、能力が必要となってきます。

過去の経験だけで、同じことを押し切ってしまうのでは 身内のことだとしても周りに対してあまりにも強引な印象を受けます。
大切なのは、過去の経験を活かし時代の求めているものに対応させることです。

常に、実践をする側に立っていれば、実践をする側の動きを察知していれば、業務が変な方向に動くことは防げるはず。
変な方向(ボタンの掛け違いなど)に動くことによって、周りの協力してくれたみんなが積み上げてきた信頼を一瞬のうちに消し去ってしまうことは、非常に残念な結果となることにつながってしまいます。

実践をコツコツと積んできていれば
自分の経験としてもレベルが向上し、あらゆる問題点や壁にあたった時でも自ら解決できる能力が備わってきます


(自分にも言い聞かせていますが...)
なんでも、他人任せでは残念ながら何も自分のところに(実力が)残りません。
割り振りを行うだけでは、単なる仕切りにすぎません。ある意味考えないで仕切るのは誰でも(素人でも)できる。
仕切るにも多角的に物事を見ながら状況を判断していかなければなりません。

上に立とうとする者は、あらゆる業務について精通し、協力してくださる技術者等を円滑にまとめる技量が必要です。質問に対しても、自分の意見だけを押し通すだけでなく、聞き入れることも大切。
これからの技術者、若者を育てていくこと(育てていく使命)も同時に必要なことで、後世の世代を育てないと持続可能な状況をつくることから逃避し、最終的に自分の首も絞めてしまい ジリ貧となってしまいます。

よく、考えながら仕事を受け入れること。
じっくり考えることと、スピーディーに動けることを状況に応じて、状況を察知して判断できること。


仕事をする上でも、相手方へのストレスを与え過ぎは禁物です。業務がかえって円滑に動かなくなってしまいます。
自分の周りを見ていると、かき回されてかわいそうな状況になっている技術者や協力者がいるので、なるべく協力してくれる方々のペースや考え方を理解しながらも、対応させていくことが必要なのかもしれませんね。
(意外と気づいていないことでもあり、あたりまえのように思われることが出来ていないことが多いです。)

あたりまえのことですが、自分だけがいい思いをして、みんなが不幸せな思いをすること はよろしくないですね。言葉づかいや態度にも気付かないうちに表れてしまいます。
(どこか、ポーンと抜けてしまいがちなので気をつけよう。)


【経験談として】
壁にあたることは少なからずありますが、実践を積んでいれば、自然とそのようなことが起こらない方向へ動かすこと、判断することも出来、円滑に動かすことができますね。
そしてある意味、共感できる人たちを引き付けることにもつながります。それが信頼へとつながっていくのです。

実践したことは自分はもちろん、みんなの財産となりえます。

コツコツと下積みを経験する。もちろん先を見据えながら。
生き残っていくためにもね。

2011年12月22日木曜日

機能とデザインの両立

地方で働く、公園などの空間設計をする技術者として、日々葛藤していることがあります。

空間を設計する上で、空間の形や風景、見え方などを考慮して空間創造的な発想のもと、こんな空間があったらいいななどと創造力を膨らませて設計を行います。
いわるゆる空間の形を考えるプランニング的発想です。

しかし、地方においては土木設計とひとくくりにされてしまい、空間を創造する思考よりも、構造物単体の構造が持つかどうかに目が行きがちになってしまいます。
いわゆる、構造ありきの発想です。
設計の議論が、そのポイントのみに絞られてしまい、せっかくの空間設計の醍醐味を失ってしまっているのは残念に思えます。
空間をつくりあげていくことをつまらなくしてしまっては、せっかくの新しいものをつくるチャンス(空間を良いものへしていくチャンス)に対してもったいないです。

どちらも大切なことに変わりの無いことではありますが、空間の設計はあるいみいろんな視点で、柔軟な発想のもと進めていくべきことかと思います。


「デザインされたものは使えない」と言ってしまう方もいますが、果たしてそうでしょうか?

「機能面しか考えられていなくて殺伐としている」 という意見も聞かれます。
「構造物のオンパレードで空間としての魅力がない」 という意見も聞こえます。

デザインと機能を両立させて、人に訴えかける空間をつくりあげて行く事が、建築や都市空間のデザイン、設計を行うものの目標とするべき考え方です。


空間の設計では、構造面のみに支配されるのではなく、空間のデザインに構造をとり入れて行く発想のほうが言いかと思います。 構造は空間の形を実現させるために利用するものと考えてもいいと思います。
大をみて小をみる。小をみて大をみる。いろんな角度から見ていくことが必要なのです。



空間の設計は、土木技術も用います。そして建築的な空間発想の思考も用います。都市計画的な視点やまちづくりの分野の考え方も用います。
(土木技術は必要なものでもあり、否定はできませんが...)土木技術のみで考えてしまっては、空間の面白さ、楽しさに欠けてしまいます。プラスアルファの要素を複合的に絡めていき成熟させていくことが必要です。
あらゆる分野のことを、トータルしてバランスよく使い分ける、使っていくことが必要な設計分野であります。ひとくくりでいえば、人々が使う 「環境をデザインする」 という仕事です。

モノや空間は人に利用されて、人から感銘を受けて、あるときは人々に潤いや安らぎを提供していくものです。


大学時代に教わった、「芸術的思考 と 工学的思考 の両立」
環境をデザインするという分野においても、必要なことで、これからも挑戦していくべきことであると思います。


使えるデザインを創造していくこと。かつ、おさまりの良いデザインを求めていくこと。
空間デザイン分野を志す一技術者として、忘れないよう心がけます。

2011年12月21日水曜日

専門の仕事を追い求める、やっていくことの難しさ

大都市圏以外の地方都市で 【専門の仕事を追い求める、やっていくことの難しさ】 と称して
何か、解決の道が探れないものか?

大学や専門学校、高校などで専門的なことを学んできた技術者にとって、自分の志した職業や職種に就くことができ、その道で活躍している姿を思い描き、将来へ向かっていることかと思います。

一般的に知られている、建築や土木の施工や設計においては大都市圏では、数多くの会社や設計事務所等があり、地方都市でも数は少ないですが、専門的な職場は存在しています。

まちのことや、公園などの外構の空間、地域の活性のことまで器用にこなすことのできる特殊な会社や組織は、ほとんどが東京や大阪などの大都市近郊に事務所を抱え、専門性をもって全国を飛び回りながら仕事をしている状況です。
優秀な会社はある意味ひっぱりだこであり、中央(大都市圏)に拠点を構えて全国いつでも動き回れるような体制と大勢の優秀なスタッフのもと仕事をしています。

地方の一コンサルでそこまでの機動力、実力があるかといえば、そこはゼロとはいいませんが、なかなか実践できていないことは否めません。
同じ事を、一地方の小規模なコンサルに望まれても規模相応ということもあり、機動力も資金力も中央の専門コンサルにはかないません。

地方で専門といわれているコンサルにおいても、専門で勉強して特化した会社であれば中央ほど力は及ばないにしても違う力を発揮することもあるのですが、専門スタッフの人数などではやはりかなわないところがあります。
(中央のコンサルで専門スタッフが10人揃っているのと、地方で1~2人しかいないスタッフでこなさなくてはいけない状況であります。10人の専門スタッフの知識と2人の専門スタッフの知識ではアイデア、機動力、迅速性、確実性等、歴然の差が生まれてしまいます。)

地方でやっていくには、あるときは地に根付いた専門的なことを求められるときもあり、またあるときは専門に近いという理由だけで別のことをこなさなくてはいけない仕事も多々ありで、必ずしも専門だけに特化した仕事をしているだけではない状況もあり。

また、一地方の環境では、専門の仕事の数も少なく、それだけを追い求めることでは会社も不安定になってしまうことから、一般的な設計の分野までこなすこともあったりと。そして、梃子としての仕事に追い回されることもあったりと。
なかなか、大学等で学んできた専門的な仕事をする機会やたくさん学ぶ機会に恵まれないので、大都市圏にある専門的なことが出来る会社と比べると、どんどん差がつけられてしまっています。



(地方で専門に特化した仕事を求めるには...)

① 地方でやっていくには、本当に専門的なものに特化して優秀なスタッフを集めてやっていきもっと身動きのとりやすい環境(ある意味、アカデミックな思想もとり入れた業務形態)にするか、

② 広く浅くでも無難にこなすことが出来るスタッフ形態で、地方に特化した痒いところに手が届く形態にするか。

どちらをとるにしろ現実問題として1人の技量に頼る形となり、一人の技術者が抱える重圧が大きい形となります。

専門を志していて、仕事もこなせる技術者はなかなか、またこれも現実問題として地方で集めるには限度もあったりもしてまして...

大学等では、地方においても専門的な教授陣を集め、目標に向かって活躍の場を追い求めていますよね。



地方コンサルではどうか。

先見の目が在る技術者の下、専門性に特化した優秀なスタッフと連携できるチームづくりができていればいいのですが、そこまでの技量が残念ながらあまりありません。
専門的にやっていきたい若手技術者が、その世界に飛び込んだとしても大学とは違い、先輩社員が同じ研究や専門的仕事をやってきたとは限らないので、話の理解度も異なり、話題の共有性の範囲も異なり、ある意味いちから道を切り開いていかなくてはいけない苦しさがあります。

若手一人で地方で紛糾するのと、大都市圏で数十人で同じ事をするのでは力の差は歴然というわけです。

地方で専門的なことをやっていくには、中央と同じようなスタッフを揃えることと、全国的に飛びまわれる環境をつくることが大切です。中央と同じような社員構成で、地方の地の利を活かした仕事ができれば、地方が有利に働くことも。

厳しい環境の地方で専門的なことをやっていくには、会社のリーダー、代表が、ある意味大学で教えられるくらいのレベルの技術者であり、会社を引っ張っていくという器の持ち主でないと難しいのかもしれません。
社員は社長のレベルに追いつくことは出来ても、追い越すことは出来ないという言葉があります。
やはり、問題意識の在る社長や代表のもと、同じ志を求める専門的なスタッフを取り揃えた組織が強いのは言うまでもありません。
特殊な専門的な仕事をするのに 地方(地場)を中心の仕事だけでは、会社を維持していく(賄っていく)には限度があります。


専門的なことを学びたいと思っている技術者を集めて飛躍を望むか、なんでも屋 になって専門的な実力があまり定着しないことを望むか。
(志をもってやる人間は前者だと思いますが...。)

どうなるにしても会社や組織を引っ張る社長、代表者次第。
ある意味、カリスマ性のある社長や代表のもとではじめて動けるもの、切り開けるものであって、操っているだけの社長や代表ではなかなかうまくいかないのが現状です。
(代表の意気込み、技術力と、それを支えるスタッフのマッチングがあってはじめていい方向にうごくものではないでしょうか。)
技術的なことがわかる舵取り役とそれをサポートできる技術者集団がベスト。

地方でやっていくには、もちろん全員が技術者集団であって欲しい。
そうでないと、何が足りないか、何を強化しなくてはいけないかがいつまでたっても分析できません。

会社をコントロールする人の比が多い組織や会社ほど、技術者、当事者は苦労する。
発注者様側と協議、話をする上でも、営業的なことのほかに技術的な話題を理解する営業の存在が必要です。そうすれば、技術側の万年時間不足が少しでも解消できるのではないでしょうか。

小規模でもうまくいっている会社、組織はそこのところがきちんと把握できていて、問題点を解決していこうという建設的な動きがあります。


これらをヒントに工夫しながら、地方でもやれることを探っていきましょう。

2011年12月18日日曜日

口でいうのはある意味簡単なの? 形にするのは時間と苦労がかかるのだけど...

設計の仕事で必要なものとして、相手へ理解を促す会話能力と図面や資料をわかりやすく、構成していく整理要素が必要となります。

プレゼンテーションの能力 と その場の雰囲気を察知する能力 を持ち合わせていたいものです。
(大学の設計課題においてもプレゼンを行う場面は必ずありましたね。)


【一方的に相手のペースを考えずに、どんどん話を先に進めてしまったり、突然暴言的はことばをいってしまったりという状況について】

会社内部での事に関しても、部下や上司に確認をしないで思いこみで勝手に決めてしまい、周囲の技術者に迷惑をかけていることもよく見られることであります。

お互いの意思疎通と、技術力の共有化が図られていないと、組織としてはアンバランスな状況となってしまいます。

些細なことで一部が喧嘩をしてしまうと、周りにいる同じ組織の技術者がしらけてしまうこともあり。

大切なことや業務の節目には、上司、部下の立場に関係なく必ず事前に状況を報告、確認していくことが意識のずれを解決することに繋がっていきます。


【実際に図面作成や資料作成の経験した技術者でないと、時間ペースの判断ができない】

打ち合わせは、発注者様と設計を行う受注者とで行うものであり、設計を行う受注者で打ち合わせに臨む技術者はある意味会社のみんなのことを背負って、技術者個人だけでなく、代表としても打ち合わせに臨んでいることを忘れなことが重要です。

実際に作業を経験した技術者であれば、
受注側の作業を行うみんなのペースや発注者側のタイムテーブルをきちんと把握し、お互いが余計な不利益を被らないように調整できる能力を持ち合わせているはずです。

地方のコンサル技術者でよろしくない場面は、打ち合わせ時に相手の要求をそのまま作業をするものに横流しし、実際に作業をする技術者がもう一度相手側(発注者様側)に確認をしなくてはいけない始末。横流しでの状況なら、その技術者のいる価値はとても薄いです。直接やりとり出来た方が時間のロスも意識のずれも少ない。

もうひとつ見られることとして、中間クッション的役割の技術者が、双方に都合のいいように異なる返事をして結果的にひっかきまわすこと(ひっかきまわされること)は、いろんな意味で不利益が多くなってしまいます。
限られた時間の中で、みんな一生懸命に苦労して作業を行っているのですから...。
何度も同じことを繰り返してしまうと、一緒に仕事をしている双方がしらけてしまうこともあるのです。

「技術者としての美学、哲学はどうなのか?」

いろんな仕事をとりまとめる技術者は、仕切り上手である以前に、その内容と時間配分を瞬時に判断できる能力、円滑に業務が動くことが出来るようにする気遣い、配慮が必要です。
強引に進めるだけでは、真の技術者とは言えない。上から目線で、強引に進めた結果、周りのフォローがあって問題なく業務が終わったとしても、いろんな意味での副作用は後に残るものです。その場だけ良ければいいという問題ではない。

これに気付けるかどうかで、業務が円滑に進めることができる技術者 なのか、そうでない技術者もどきの人なのか が判断出来ることかと思います。

(ある意味、普段の生活にも直結することかも...)

自分はどうなのか?
気をつけているつもりでも、まだ、完全ではありませんね。頭だけで複雑に考えてしまい実行への場に移すことに対し時間のロスがあることも。
自然体で瞬時にできるようになりたいものです。

2011年12月17日土曜日

地方でランドスケープデザインは理解されるか? いやもっと理解されて欲しい。

一応、地方のこじんまりとした(小規模な)ランドスケープコンサルとして、業務に取り組んでいる日々。

中央のランドスケープコンサルと比べると、規模も小さく、会社の歴史も浅く、実力もまだまだです。

地方でも、ランドスケープ分野を志している技術者や若者はいるのですが、なかなか表面に現れず、沈んでしまっている状況でもあり...。
そして、空間をデザインする思考をとりいれた仕事が、中央と比べると雲泥の差があり なかなかデザインを考えることに携われないのが実情となってしまいます。


地方でも、ランドスケープ教育を行っている大学等がある土地柄では、先生方、学生達の積極的活動等により理解もされつつありますが、そのような土壌のないところでは、なかなかデザインという言葉、領域の理解度が高くないのが残念でなりません。
(大学等で建築や都市計画、ランドスケープデザインを学んできたことの方が刺激になっているのはある意味さみしいと思ったり。社会に対して本来はもっとこれらの領域を発展させなくてはならないのにと思う日々。)

都市空間ひとつみても、大都市部では樹木一つをとっても、とても大切にされていたり、街路樹が綺麗な樹形を保っていたりして、まちの景観としても成熟度が高いと感じます。

地方において、街路樹の植えられているスペースが狭い道路などでは、街路樹が無残な姿で剪定されてしまい樹形が整わない、木があるというだけの街路樹となり夏場の日陰の創出やビスタの利いた並木道の創出、景観形成をするのに本来の趣旨が発揮されにくい状況になっていることが残念に思うときがあります。


街の中の大木や並木については、まちの風景を創出するという意味ではとても大切な要素の一つでもあります。
機能面だけで、巨大な街路樹を伐採してしまうというのでは、何かもったいない。
景観形成の手法としても、街路樹や巨大な樹木は重要な役割を果たすものであります。

円錐形で形の整った樹木が一定ラインで整列されていれば、ビスタ、見通しが効いた街路が立体的にも形成され、巨大な樹木は、その都市のシンボルや土地を表現する目的物(目標物)ともなり、ランドマーク的役割を果たすことができます。平面上で広がる街のなかで、建築だけでなく、緑の樹木があるということは、無機質な空間に安らぎと潤いを与えます。

都市の機能のみを考えた整備の方法は、人々が求める安らぎや愛着、感動を与える空間整備としてはまだまだ発展途上の状況。
考え方ひとつでまちを形成する仕事は、おおきく変わってくるのだろうと思いますが、なかなか財政状況の差(を理由にしてしまっている?)なのか実現することに難しく考えすぎて、本来の目標を失ってしまっている感があります。


忙しい現代人には、精神的にも心の安らぎを与えられるような都市空間が必要です。
厳しい世の中で疲れきっている現代人のこころをサポートするのも、まちの役割のはずです。

効果的な緑を活用した整備手法。まちを魅せる景観形成の手法をこれからも大切にしていって欲しいと思います。

地方においては、都市のかたちをあらゆる面で考えること は発展途上。
ある意味これからどう考えるか(舵取りをどうするか)で、その都市が成長できるか、そのまま停滞してしまうかになってしまうことかと思います。

よりよいまちをつくっていくには、それぞれの組織や専門分野の連携、横のつながりが必要であり
きちんと議論して、方針をつくっていくことが必要です。それぞれの分野が独立して細かい事をやっても、トータルで整合性が図れなければ、あべこべな都市空間となってしまいます。



魅力ある都市を、成熟した都市へしていくためにも、
ランドスケープ的な空間形成の手法も、まちづくりへ積極的に取り入れませんか?

実際に計画だけでなく、実行へ移すことが出来れば多くの人に実感され、こういうことなのかと理解されることだと思います。

2011年12月14日水曜日

教えない、教えられないというのは、負けということ

夢や希望をもって業務やプロジェクトに参画する技術者にとって、お互いの知識や考え方を提供、教えあうことは、双方の技術力向上に必要なことであります。

設計などの技術的分野においては、企業の利益を最優先にする考えはあまりふさわしくありません。手抜きの構図につながりかねない。また、仕事の信用も失うことにもなる。
技術的に勝るものがあって、結果的に利益が付いてくるのであればまだしも...。


とある まわりの状況を見ていると、きちんと実践している方もいれば、優先順位がちょっと違うんじゃない?というところもあるな とも感じたり。


【技術者として、自分の保身に固執するのでなく、頑張る方へサポートをする献身的気構えが必要】

世の中、苦しい状況に置かれている状況で頑張っている人に対して、サポートをすることは必要なことです。
そして、自らも人に教えることが出来るくらいに勉強し、考え、理論や信念を持つことは、技術者の資質として持ち合わせていなければいけないものであります。

抜かされるから、若いものへ技術を教えないということがよく見られます。
教えないことで、自分が優位に立とうという意識は、ある意味負けを認めたようなもの。
そして、ある意味ジリ貧で後がなくなります。新たな発掘と、教えられるくらいの蓄積をしなくてはいけないと思います。
時代は常に進んでいるもの。世の中の動きの把握と知識の研鑽は現役で働き、対価を得ているのなら続けていかなくてはならないことです。

お互いが頑張ることが出来れば、教える側 も 教わる側 も常に向上していることにつながります。

立場の強いものが、自分の立場の保身のために、弱い立場の人をいじめ、自分が優位に立とうとするのは、技術者としても人としても最低なことといっても良いと思います。
人の努力を踏み台にして、自分だけあがろうなんてひどいです。
いいすぎかもしれませんが、有資格者であるのもかかわらず、何もしない、目下の人に作業だけやらせて自分の利益(横取り)にしてしまうのはもっと最低です。

世の中、きれいごとでは済まされないこともあるのでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか?



【人に教えられるくらいの力を持ち、信念を持ち、苦労を経験した人ほど強い】

人に教えることが出来るくらいのものを持ち、人に教えることで自分も成長すると思わなくては、技術者個人の成長は見込めないことだと思います。

会社等組織の考えのみに染まってしまっては、思考も視野も狭くなってしまいます。
組織の中にいても、多角的に見れることが必要。そう考えられる技術者がもっと地方には必要です。
自分で切り開いてやっていこうとする技術者ほど、無用な圧力と閉鎖的環境に違和感が大有りとなってしまいます。

設計をする技術者は企業戦士である以前に、世の中に貢献する使命もあるのです。
発注者と受注者の関係だけでなく、最終的に一般大衆を相手にするのですから。
食べていくのは正直大変ですが、それを忘れてしまってはその仕事をする資格としてどうなのだろうか...?
志をもってこれから取組もうとする若手に、一生懸命こなしてくれている技術者に大変失礼なことでないでしょうか。

今は、広く物事を見ていくことは必要な時代。いろんな考えをもって仕事をしなくてはなりません。


視野を広く見ることは、結果的に技術者個人の資質向上、そして所属する組織への益を与えることにつながります。
これらの考えを理解してくれる か そうでないかで、会社や組織、従事する技術者の資質、器(うつわ)の大きさが伺えます。

常にいろんなことを、自分の知りもしないことを教えてくれる技術者は尊敬に値します。
みんなが知らないところでの努力がないと、出来ないことです。
実践している人はすばらしいなとただただ尊敬してしまいます。ある意味神業かも。


いろんな物事をみて観察すること。
教えられるくらいの知識と教養と技術を持つこと。

自分より若い人が、第一線で人に教え、世の中の役に立つことをしていることは、すごいなと感心いたします。

苦労して頑張っている人が報われないとね。

志を共にするもの同士で切り開いていきたいと思うこのごろ。
自分はまだまだ。自分への戒めとしても、これらの考えを大切にし、精進しなければいけないと思います。

2011年12月12日月曜日

プロジェクトの成功の裏にはいろんな方の協力があるのだ。

業務をやっていて感じることの数々。

住民を交えたワークショップや、設計のプロジェクトにおいてはみなさんの時間を割いていただき作業をしてはじめて成功へ導かれるものであります。

技術者の端くれとして、いろんなプロジェクトをつくりあげるのに協力してくれる方々の存在は、非常に大きな力でもあり、財産にもなります。感謝の気持ちでいっぱいです。

どのような立場であれ、時間と知識を提供してくださることには感謝をしなくてはなりません。
お金だけでは換えられない、価値を提供してくれています。

その中で、よくみられることとして、「この作品は自分がやったんだ、この設計は自分がやったんだ」と言い切ってしまう技術者がいます。


でも、よく考えて。

作品をつくりあげるのに協力してくれた方々の存在、設計をするのに技術を提供してくれた方や見積りを作成してくれた方の存在をどこか忘れていませんか?
そして、その設計をもとに形にしてくれた施工側のありがたさを忘れていませんか?

ものごとは、いろんな方の協力をもとに成り立っているのです。
ある一部の人の力だけで全てが成り立つことではないのです。自分の力を過信することは危険です。

会社で言えば、部下の方々の綿密な資料作成や、会社を経営している方々の双方が協力しあってはじめて成り立っているのです。

人の努力と手柄を横取りしてしまうのは、技術者としてはどうなのだろう?
全て(大部分を)自分でやってきたのなら別なのですが...。

普段から気をつけていれば、言葉遣いも自然とトラブルの起きるような口調はなくなってきます。そして、しぐさも丁寧になります。謙虚な姿勢が好感を誘います。

自分が偉いと思う人ほど、言葉や態度に粗さが目立ちます。
化けの皮が剥がれたとたんに、大きな信用を失います。
そういう人の下では、仕事もうまくいきませんよね。

横柄な態度、上から目線的な言葉遣いは、仕事の上でもご法度です。
それでは、お互いの信頼関係は築けません。

いろんな人の労力を頂くことに対し、感謝の気持ちを忘れないこと、とても重要なことなのですよ。

2011年12月11日日曜日

スーパーフラットな公園は「是」か「非」か

最近の公園の整備事例をみると、地形的にフラットで面白みが薄い公園が多くみられます。

ポケットパークや街区公園(0.25ha標準)では敷地的にも制約されていることから、フラットな地形で公園づくりが行われるのもわからなくない気もします。

近隣公園以上ではどうか。
近隣公園においてもスーパーフラットな公園が多く見られますね。

本来、近隣公園(標準2.0ha)以上では、広い敷地を活用した、高低差を活かした公園づくりが求められているはずです。

防犯面をあまりにも強調、意識してしまうことから、本来公園に求められる遊びの楽しさまでも削いでしまうということに繋がってしまっているようです。
公園に第一に求められているといっても良い、遊びの楽しさまでを、安全の面だけで削いでしまっているのでは、公園を整備する意味が感じられません。


【地形の変化を楽しむことが出来る公園づくりをもう一度みなおそう】


ラウンディングのある公園や高い丘のある公園は、普段フラットなところに住んでいる子供たちにとっては、面白みのある空間でもあり、上り下りのかけっこの出来る身体を鍛える、育む空間となりえます。
防犯の意味合いだけで、スーパーフラットな公園(地形の変化の無い公園)がつくられ、無表情な公園となりがちなのが、残念でなりません。
そして防犯面を考えるのであれば、スーパーフラットな地形でなくとも死角をつくらないことも可能でしょう。

設計をやっている立場からみれば、公園設計や公園計画を平面だけで考えてしまうと、どうしても立体的な地形の変化や景色の見え方が想像することに欠けてしまうと考えてしまいます。
そして、結果的におもしろみのある公園空間が実現できなくなってしまいます。
公園の企画、設計、施工等にかかわる技術者すべてが、立体的に空間を想像すること(できること)が必要と日々感じています。
そして、土木的な観点だけでなく、遊びの楽しさ や 空間で落ち着いて憩える場の創造 を持つことが公園をはじめとする空間設計の技術者には必要なことです。

住民を交えたワークショップなどでも、スーパーフラットな公園にすることに対し、疑問をもたれる方も多くいらっしゃいます。せっかく公園をつくるのなら、面白い地形の変化や風景の変化が感じられる公園の方が、公園にいて楽しいですよね。
子供の目線からすれば、いろんな見え方の変化がある公園空間の方が楽しく遊ぶことができます。自分の子供を見ていてもそうです。山や丘があれば登って普段目にしない高いところから周りを眺めます。高いところから周辺を俯瞰(ふかん)することは、こどもに感動を与え、心身の成長にも寄与していると子を持つ親としても感じます。

自分たちの使う公園なのだから、無表情な公園よりも楽しく憩える公園にしたいというのが税金を納めている住民の考えの一つであると思います。
地域によって、フラットな公園の方がいい、地形の変化のある公園の方がいいといろんな考えが在るかと思います。ですから、全ての公園がスーパーフラットである必要はありません。地域の状況に応じて考え方(フラットにするべきか、そうでないべきか)を使い分けるべきです。


公園づくりに求めるもの...

それは、「あんぜん、あんしん」 の他に、公園空間の「たのしさ」 をもっと大切にできないかと思います。
公園整備に同じ金額を投じるのであれば、面白い公園空間を実現できる方が整備したかいがあるというものです。

有効に整備金額を投資することが必要で、形式的(形的に、画一的に)に投入するのでは税金を納めている側も納得できないことでしょう。

しかし、整備する行政側が悪いのか? そうでもないこともいえます。

ここで忘れてはならないのが、行政側も思い切った公園整備が出来なくなっているというのもひとつあるのです。
最近は何でもクレームをつけてくる方がいることが影響し、子供たちに夢を与えるような空間づくりができなくなっている、クレーム対応に追われて本来のあそびの楽しさを提供するという目的から外れていってしまっているという悲しい現象も見られます。

片一方で、トップダウン的な思考からまだまだ抜け出せなく、反感を喰らっていることもあります。

どちらが悪い、どちらがいいという考え方でなく、建設的な議論はいろんな考えを持つ人々同士が、知恵を出し合い、お互いが置かれている状況を理解し、譲歩し、納得しあうことが必要です。
ワークショップで言えば、トップダウン的な住民説明会ではなく、議論し、お互いの理解を得ること。
いいすぎかもしれませんが、何でも他人任せにしてしまう風潮、何でも自分の思い通りになる考えが、結果的に面白い公園空間をつくることに多少なりとも影響を与えてしまっていると考えます。


面のみで面白い変化をもたらしても、縦断で(地形の高さ)の変化があるとないのでは、空間の面白さがだいぶ異なってきます。面のみの楽しさでは限界もあります。

せっかく公園をつくるのであれば、楽しいみんながたのしく、憩える公園をつくりましょうよ。

2011年11月30日水曜日

東京駅界隈 日中の姿を散策(観察)して

とある照明関係の展示会をみるために、ふたたび東京へ。
LEDの技術は、2~3年前と比べ格段に上がってきていると感じているこのごろです。
(その話はおいておいて...)


東京駅近くの国際フォーラムへの行き帰りに目にしたもの(目にとまったもの)を写真を主体に紹介します。

東京駅の八重洲口~丸の内口の連絡通路内 過去の歴史を絵で紹介

日中の丸の内仲通り

街路灯も日中は点灯せず(あたりまえかぁ) オブジェ的でもあり


丸ビル この間は夜(散策)だったけど、日中もいい空間です。

サインの並びもいいですね。(リズミカルな置き方、デザイン的でもあり)

都市空間の中の緑は貴重です。

レンガの色がレトロな感じでいいですね。時代をタイムスリップしたみたい。

ここの構図をスケッチしている画伯の方々がいました。(絵になるところですね。) 同じ構図で写真を思わずパシャッツ!

東京国際フォーラムの外構空間。ランドスケープ的な視点で見たくなる感覚。

これも立派な作品です。空間のアクセントとしても〇。

整然とした樹木配列。都市空間的。


東京駅の駅舎修復の状況(東京駅丸の内南口近く) 南側はだいぶ見えてきましたね。

最近は、出張で東京などに行った時は空間がどうなっているか、建物がどうなっているかが以前と比べ気になってしまうこのごろです。
ある意味、学生時代の感覚を取り戻しつつあったりも。
本当は、学生時代の感覚、感性をさらに磨いていくことが職業人としては必要なことであります。

地方では、なかなかこの感覚や感性が理解されずに「どーなの?」って思ってしまったり。


今のうちにいろんなところ、いろんな地域を見て肌で感じることが出来れば...。

狭い視野でものごと見ていても思考は広がっていかないので、行った先(訪れた先)のいろんな空間について観察していくことは自分にとってはいい刺激になります。

自分が仕事として志したいもの(目指したいもの)は、決まり決まったものの規格ものの設計ではなく、まちなどの空間設計や空間創造の世界なんだろうなと改めて思ったり...。

これらを思わせる原点としては、小さいころからの風景をみることへの興味 と 大学で学んだ環境デザイン(建築や都市計画や空間デザインなどをひっくるめたもの)なのかな。

2011年11月27日日曜日

休日のまちなか散策

日曜日なのに休日出勤!?
(もちろん、中途半端な仕事も片付けるために)

自宅アパートから会社まで約5kmくらいの道のりを1時間近くかけてゆっくり歩いてきました。
(会社に自転車を置いていたこともあり...)

宇都宮大学峰キャンパスにある大きなイチョウ

宇都宮市道 イチョウ通りのイチョウ並木

歩行者道と自転車道に一応わかれていますが...

普段自転車で走っていると、通行帯守らず歩行者も自転車も使っていますね。逆走も。

宇都宮市のシンボル「大いちょう」

市の天然記念樹としても

鮮やかな黄色です。樹齢も相当なもの。

宇都宮らしい建物のひとつ。松ヶ峰教会。 地場材の大谷石を使用しています。

ちょっとした散策ですが、まちのなかにいろんな目につくもの(目をひくもの)がありますね。
ただ歩くだけではもったいない。

せっかくまちなかを歩くのであれば、歩くことを楽しんでしまおう。

2011年11月21日月曜日

地方のRLAが果たすべき役割 と 地方有資格者の資質の改善を

【はじめに】

「RLA」といってもどんな資格なのかわからない方々は沢山いることかと思います。

RLAとは、「登録ランドスケープアーキテクト」 といいまして、(規模が大きい、小さいに限らず)ランドスケープ全般の計画や設計をする技術者の資格のことをいいます。

建築でいえば、代表的なのが「一級建築士」
土木や都市計画などの分野でいえば「技術士」
といった感じでしょうか。

ランドスケープで言えば、「一級造園施工管理技士」などが造園系の資格でありますが、どちらかというと施工的要素の資格となり、設計の資格がありませんでした。

土木系の資格では、RCCMという シビルコンサルティングマネジャー という資格もありますね。


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【では本題のRLAとは】

地方ではまだまだ珍しい、RLA(登録ランドスケープアーキテクト) という資格。
空間を広くデザインする、設計をする技術者のことであります。

大阪を中心とする関西圏や、東京、神奈川を中心とする南関東圏においては、様々なプロジェクトにかかわる技術者が活躍し、外構などのデザインに取組むことが出来る、経験することができる場というものが多くあります。都市部でランドスケープ系の仕事をする方々にRLAの有資格者が多いことは必然的なものなのかもしれません。

地方(関東でも北関東圏)においては、南関東と比べ人口比率も1/5程度となってしまいプロジェクトの数にも限りがあるのが現状です。

少ないプロジェクトの中で、公園や外構などのデザインを問われる設計に対して、専門的な技術者がかかわることができればまだいいのですが、せっかくのプロジェクトなのに、空間をデザインする志向が重視されず、画一的な土木的技術のみで空間が形成されてしまうことには残念でなりません。



公園や外構などのまちなかの空間は、コミュニティーが形成される場所でもあり、単純に空間を提供すればいいものではないのです。

【では、何が足りないのか?】

農村の計画をするにしても、まちばの空間をデザインするにしても、土木的技術、建設技術はハード的要素で用いることがありますが、かたちをデザインすること、ソフト的な仕組みなどをつくっていくことも忘れてはならない要素であります。

空間の設計、空間のデザインは、単純に規格、基準どおりに設計する機械設計とは考え方が異なります。規準どおりに機械的に設計を行って良いところと、創造力を働かせるところの二面性を持って取組まなくてはいけません。

地方の空間デザインの技術者に足りないものは、空間を創造する力だと思います。まだまだ、土木技術的なことに着眼点が強く、空間デザイン的な思考が育っていません。

 地方に就職して、地方ならではのデザインを展開していくことが必要だと思い、地方へ飛び込みましたが、問題意識のずれなのかなかなか理解されずに歯がゆい思いをしております。
いままで、デザイン的な、創造的な思考が育っていなかった土壌だったのかもしれません...。

地方に限らず多くの市町村では、土木担当行政官が空間の設計を監修することがあります。土木技術に詳しい方に、いきなり空間デザイン論をぶつけても考え方 が飛躍しすぎてしまい、なかなか理解できないのが現状です。技術的なことを踏まえつつ(理解を促しながらも)、デザインのことへ発展させる説明の工夫が必要となります。 

大学で環境デザインを学んできたことが、逆にそう思わせてしまっているのかもしれませんが、画一的な設計は面白みや空間創造のワクワク感が得られることがありません。
せっかく、いろんな意味で設計をするのなら、過去よりいいもの、役に立つもの、喜ばれるものを創っていった(造っていった)方が、建設的なのではないのでしょうか。


【いままで見られた地方有資格者の状況として】

地方の技術者の中には、資格を取得できたことでゴール地点となってしまい、そのこと自体を名誉にしてしまう技術者もいます。

しかし、ちょっと待って! 資格を取得する意義や本質は違うところにあります。

これからの時代を担う、我々の世代の技術者や若手技術者には資格を取得したら、資格を名乗ることはできても本番はこれからだ、「スタートライン」にはじめて立ったということを認識し、日々知識の研鑽、いろんなものを観察して考えることを怠らないことを忘れないで欲しいと思います。


地方のRLAが地方においてできる役割は、まずは地道に空間をデザインする設計について、啓発していくこと、実践していきながら、プロジェクトに関係する機関や関係者に理解を促すことなのだろうと思います。(第一の受益者である市民のことも忘れずに...)
地域に入り込んで、地域ならではの問題点や課題を肌で知ることも重要です。

地方の大学でも、建築やランドスケープを学んでいる学生が、地域に入って住民と交流をもって問題点や課題を発見し、設計課題や地域活動に取組んでいる状況です。

一番働き盛りの30~40代の技術者が、企業の利益の為に働くことでいっぱいにさせられがちですが、 一歩引いてこの仕事に対する意義を見ていく必要があります。
確かに、会社のこと、家庭のことなど抱えているものが多く時間的余裕、経済的余裕も無いのが実情であります。
本当なら、知識的にも積み重なってきて、体力的にも多少の衰えがあるにしても、まだまだ元気な立場の技術者なのですから、問題意識を持って取組まなくてはならないのですが、精神的にも追いやられてしまっている。いろいろと苦難もありますね。


今では現役学生の方が、ある意味厳しい時代で一生懸命になって研究をしている状況。
一生懸命になっている学生の気持ちを踏みにじることなく、業界全体で若手技術者、将来の技術者が活躍できる機会ができるようにしていかなくては。
(気持ち的には、資格のみで仕事をしない技術者には、若くて精力的にも活動している将来の技術者に託した方が世の中もっと良くなるのではと思ったりもします。現役技術者は、若手技術者に内容で負けないよう、現役で働いている、働いていかなくてはいけないのなら若手に負けないよう精進するのが筋なのではないですか...?)


有資格者には、年齢等を理由に「出来ない」なんての言い訳は通用しないことでしょう。
年齢を重ねた技術者でも、精進している技術者もいます。最終的には人の資質がものいうということもありますね。
専門の道を志している若者に恥じないような行動が問われていることは間違いないです。


自分は、ある意味これからがRLAとしてのスタートラインだと思って日々精進していこうと思います。
地方のRLAとして恥じないように。
(自分はRLAの登録をまずして、はじめてRLAとしての効力を有するのですが...(苦笑) 早速手続きしようと思います。 →申請手続きしました。12月ごろには登録証届くでしょうか...?)


地方ならではの着目点や創造性をもって、地方が元気になることへの貢献ができれば...。

これからの抱負です。

2011年11月19日土曜日

夜のまちの演出 ~東京駅界隈~

東京での講習会の帰り。

そのまま帰ることもいいのですが、空間をデザインする技術者としては参考となる素材がたくさんあるのに観察しないで帰ってしまうのはもったいないことであります。

時期的に、12月に近いということもありイルミネーションがいたるところで見られていました。

夜の歩ける街、夜の空間形成の参考にでも!


【以下、写真にて紹介いたします。】


(新丸の内ビル方面)

丸の内界隈のサイン(案内サインと誘導サインが一体化)わかりやすい。そしてデザイン的にもカッコイイ!
ベンチも地面の模様と関連づいたデザイン
イルミネーションでなお明るい。
 (東京駅丸の内口~皇居方面)

東京駅~皇居方面へ抜ける空間(いわゆる風の道)

ビルの狭間のオアシス空間でもありますね。

ベンチ下に明かりが照らされています。〔間接照明)

(丸の内仲通り)

街路樹がイルミネーションで飾られています。
LEDかな? 全国的にイルミネーションはLEDの普及により電力使用量はきっと減ったことでしょう。
サインに絵があるのも変化があっていいです。
街路照明も間接照明をうまくとりいれてたデザインとなっています。




(日比谷公園)
公園内のカフェの明かりが庭園空間に華を添えています。

連続した暗くない空間は、夜でも安心して本を読んだり、待ち合わせ場所につかえたりします。

日比谷公園内のイルミネーション

クリスマスツリーですね。

(丸の内ビル界隈)

アプローチ空間の中央にあると注目されますね。

足元の間接照明があるだけで明るい。そしてお洒落。

ダイレクトに照明を当てないことが、人々が安心してくつろげる空間になってたりも。
背景の洋館と庭園空間がいい感じ!

植栽に対しての明かりのデザイン

昔の雰囲気も活かした照明

大正ロマンともいいましょうか。

東京駅界隈を歩いただけで、いろんな魅力的夜の空間がありますね。
さすが、全国から注目されている場所。

修復事業中の東京駅(屋根が見えてきてますね)

都会の空間ではありますが、地方の都市空間においても演出方法は参考になりそうです。

ただ、気になるのは電気を無駄に使っていないかだけですが...(苦笑)
省エネで、効率の良い明るさ感を持つことができればいいかもしれませんね。
また、昼間の太陽エネルギー等の自然エネルギーを電気に変換して使うことが出来ればよりいいかもしれません。エネルギー問題との両立はこれからの課題です。賑わいの演出や防犯面のことなど様々な要素が絡んでくるので、調整していくことが必要ですね。

(建築的にも、都市のランドスケープ的にも、いつみても空間デザインの勉強になります。)