設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年8月31日水曜日

地方の駅周辺の「空間デザイン」はどうか?

最近は、栃木県内でもJRの駅周辺の再整備や再開発、環境整備が行われつつあります。

近年では、JR宇都宮線の宝積寺駅(高根沢町)や雀宮駅(宇都宮市)の駅および関連施設の整備が行われています。
宝積寺駅とその周辺は、建築家の隈研吾先生の作品、監修でもあり、栃木県内では、ちょっと違った新しい空間であります。


鉄道における都市(まち)の形成は、電車が走る前の蒸気機関車の時代にさかのぼり、太平洋側と日本海側では、表口がどちらになっているかの特徴が伺えます。

太平洋側では、仙台駅や盛岡駅、福島駅、宇都宮駅、大宮駅のように西側にまちが形成されています。
日本海側では、山形駅などをみると東側にまちが形成されています。

理由としては、風の吹く方向にあるようです。
現在では、電車がほとんどを占めますので、東西どちらにまちが形成されても生活に大きな支障は生まれません。
しかし、昔は蒸気機関車による煙がまちの上空に入らないよう、風上側にまちが形成されているのです。

よって、仙台駅を代表とする太平洋側では西口が往時からの市街地(青葉山方面)として栄えており、東口(海側)はあたらしいまちのイメージとなっています。
山形駅を代表とする日本海側では、東口(蔵王方面)が往時からの市街地として栄え、西口(霞城セントラル周辺)はあたらしいまちのイメージとなっているのです。


(それはさておき、本題の駅周辺の再整備について)

新しいまちを形成する上で、従来から栄えている側の口(南口だとすれば)と反対側(北口)にまちが形成されます。

区画整理事業によるものが関係してきますが、うまくいっている事例(ケース)は別にして、ほとんどが「都市計画側の規模の分析・用途の配置計画」 と 「建築や外構などの空間デザインの計画」とがヒューマンスケールにおいてリンクしてこないことが伺えます。「道路設計」もまた、機能のみの標準断面的な設計となり、より空間デザイン的要素が疎かになりつつあります。

どうしても、分析の部分とかたちの部分が切り離されて考えられてしまっているので、しっくりこないどこにでもある郊外の駅前空間となってしまうのです。

今の時代、建築やランドスケープを中心とする、まちの表情、ロケーションについて広く一般の人にも認識されている世の中。

適正な規模算定ができても、デザインが一致しない。
その逆の デザインはいいけど、規模が一致しない ということが大いにいえます。

必要なのは、どちらかが上、下の関係であるということではない ということ。

計画手法の考え方


双方の分野を理解しながら、お互いに詰めていき、利用する人の立場や心地よい空間を創造するという視点に立って計画を練ることが重要ということです。

せっかく整備するのなら、どこにでもあるような無機質な空間構成よりも、魅力ある賑わいのある駅周辺の空間の方が魅力的で人も集まりますよね。整備効果も高いはずです。

単に整備することを最終の目的地点とするのではなく、人々が居心地の良い空間を整備、創造することを目的とし、さらに次世代型の環境共生やエコなどの分野もバランスよく組み込んでいくこと。

今では、様々な高校や大学等で専門的に(建築や都市を含めた)空間デザインを学んでいる学生も多く世の中へ輩出されつつあります。従来の凝り固まった考え(画一的な考え)を打開しながら、魅力ある空間の創造に努めませんか。

トータルで計画からデザインを通して見ることが出来る技術者(役所やコンサルに限らず)が、地方にはまだまだ必要なのです。 そして、志をもって事業に取組む方が地方にもっと増えて欲しいと思います。

技術論にプラスαの空間創造論的考えを加えること、これからの建設系の仕事には重要なことです。

2011年8月30日火曜日

デザイン ということば と ランドスケープアーキテクト

日ごろから使われている「デザイン」という言葉。

デザイン = アート、創作、芸術 とおっしゃる方もいますが、ちょっと違うこともいえます。


デザインという言葉は、「方向性を指し示す」という意味合いがあり、必ずしも個々の形のことだけを示すものではありません。


都市の計画、地域の計画、公園などの園地空間の計画などについては、機能とかたちをどう組み合わせて環境を形成していくかというところのことをデザインといいます。


都市計画 を デザインで言い換えれば 「都市デザイン」 etc
地域計画、農山村計画 を デザインで言い換えれば 「地域デザイン・農山村デザイン」 etc
園地計画 を デザインで言い換えれば 「空間デザイン」 etc


上記をひっくるめたデザインは、日本ではきちんとした形で確立はされていませんが、欧米では「ランドスケープ・デザイン」と言って、それぞれの建築・土木・都市計画の分野の調整役、束ねる役として、 ランドスケープアーキテクト の地位が確立されているようです。
日本だと、公園や外構空間の限られた敷地の計画をする技術者、造園の技術者と認識されがちですが...それも含まれているけど、ちょっとニュアンスが違う。


都市やまちを形成する上では、土木的なこと、建築的なこと、都市計画的なことの建設系の他に、地域文化のこと、自然のこと、生活のこと、経済活動のことなどが、複雑に絡み合って形成されています。

デザインとは、ものの形のことだけでなく、機能やいろんな分野のことをひっくるめてプランニングする意味も含まれています。

2011年8月29日月曜日

ランドスケープデザインの仕事

ランドスケープデザインの仕事

従来の考え方では、建築や土木の下に付随する一領域としての認識で、造園というくくりで表現されてしまっていました。

日本では造園といえば、建物に付随する庭園や箱庭など限られた閉じた空間での設計や施工のことを示されがちであります。

地域のグランドデザインをする仕事といえば、土木や都市計画であるという方もおりますが、土木は、土木構造物を用いて人間を中心とした人々の生活空間をつくること、都市計画といえばある法令や決まりに従い机上での分析、解析などを用いて面的にも形をつくる計画のこと(だけではありませんが...)になってしまいます。

現在においては、20年前ごろの考えと比べると、空間デザインやまちおこしなどの志向は入りつつもそれぞれの分野でその領域を主体に独立して考えられているので、まだまだ付属分野という考えが世の中から払拭されていません。
(業界内に働く、熟年世代や地方技術者では、従来のくくりでの考えで凝り固まってしまっている人が多い状況。またそれらを理解できる環境におくことも出来ない状況でもあり...。)

本来のランドスケープデザインというものは、自然や地域、風土のこと、建築、土木、都市計画のことなどをひっくるめて、グランドデザインの方向性を導き出すこと、人間だけでなく、自然の恵みの恩恵を考えながら都市や地域の文化を創出していくことが本来の姿であるように思います。


例えば、自分の通っていた東北芸術工科大学では

ある意味、都市計画や建築のこと、造園的なことを広く捉えた「環境デザイン」という分野を専攻し、いろんなことを頭脳だけでなく感覚的にも学び、地域の方々と交流しながら生活文化のことを含めて考えることをしましたが、そのことが21世紀型の「ランドスケープデザイン」という分野なのだと自分は理解しています。

実技的なことを学ぶ大学もありますが、自分のいた大学および研究室ではそれよりも地域の本質を肌で感じ、将来の活躍できる技術者を輩出するという目的があったのではと、今になってわかってきたような気がします。
従来の業務的な技術、仕事の方法については、社会で鍛えられますが、根本的に世の中の出来事に関心を示す、考えるということは、社会になってからでは組織の考えに染まってしまい、凝り固まった考えになってしまうのがオチです。

ひとり立ちしても恥ずかしくない、考えられる技術者、プランナー、デザイナーになりうる人材を多く世の中に輩出することを念頭においていたのではと思います。


ランドスケープデザインとは、箱庭や公園をつくるだけの仕事ではない。もちろん、従来の箱庭や公園を造っていくことにも寄与しなくてはならないのですが、ポイントの整備だけでなく、面的な建設技術のことだけでなくいろんな事象を重ね、トータルにプランニングするのがランドスケープデザイン、地域デザインというものなのではないでしょうか。

また、中央で働いている、地方で働いている、企業で働いている、大学で教鞭を執っている様々なランドスケープデザインにかかわっている人どうしが、お互い共通認識を持ってこの業界、この分野について本来の姿へ近づけられるよう、新しい息吹を世の中に吹き込んでいくことがこれからやっていかなくてはいけないことのひとつなのだろうと思います。

2011年8月28日日曜日

東京郊外のまち と 地方都市、地方郊外のまち の違いから考えること

東京より半径50~60km圏内のまちのつくりは、東京や横浜、さいたま、千葉など都市への鉄道による通勤形態が、まちの活動様式を生んでいる、形成しているとも言えます。

北関東や東北の都市と比べても、ひとつひとつのスケール、まちの濃密度が異なっているのがわかります。

主な移動交通手段が鉄道による都市圏は、駅の周辺に小規模な商店が集まり、商店街を形成し賑わいや生活感を感じることができます。

地方都市では、車社会への移行により地方路線の鉄道駅周辺の商店街は寂れてしまい、郊外型店舗へ人が流れてしまっている状況です。

鉄道により人の行き来ができる都市をはじめ、観光地もそうですが、歩くスケールでのまちの姿を見ることができます。

例えば、路地空間とその両脇に並ぶ商店街においては、路地空間が広くない分、お店と路地を歩く人の距離も近い。
その中には、そこの土地に住んでいる者どうしが顔見知りだったり、その中でのなにげない交流も生まれているのだろうと感じます。
まちの魅力とは、人で賑わう傍ら、その中に人同士の交流、やりとり、歩いていて楽しいスポットや目を引く建物があったり、空間があったり...。

幹線道路の歩道ひとつにしても、北関東とはちがう...。

千葉県市川市役所近くの緑陰空間と歩道。
幹線道路(国道14号)沿いにもかかわらず、大切にされている。

幹線道路で車の行き来が多いですが、樹木が切られず守られているのが魅力的な空間をつくっています。

程良い、囲まれ感というか、空間にさみしさや飽きのこない日常のまちなかの生活空間が過疎化が進んでいない都市では、形は時代が進むにつれいろいろと変わってはいますが本質は残っているのではないかと思いました。


宇都宮などの地方都市では、自分たちがこどものころ(20年前ごろ)は、商店街やアーケード街も人でたくさん賑わっていたようです。
自分の地元の小見川の商店街や佐原や銚子の商店街、街中のデパートも多くの人で賑わっていた記憶があります。(親の車ではなく、自分たちで自転車や電車でちょっとした買い物へ出かけた記憶があります。)

しかし、現在は幹線道路沿いの商店街は人がいなくなり、車が通過するだけとなりシャッター街となってしまっているのがさみしい限りです。
地方においては、都市部と違って鉄道+徒歩の方が完全に車へ移行してしまっているのが、昔ながらのヒューマンスケールの町場空間を維持することが困難になってしまっているひとつの要因にもあるかと思います。

都市部では、車社会への移行もありつつも、公共交通利用+徒歩の社会も維持できていることが、まちば空間の賑わいを時代に追従しながらの変化がありつつも維持されています。

まちばの賑わいと、その中にある数少ない緑空間が大切にされている。
地方都市の街中では、周辺に山なみなどの緑が見えるかもしれませんが、まちばの緑空間としては実は都市部よりも少なかったりします。

歩いて魅力的なまちとは。

地方都市、観光都市でも、他地区(都市部など)から鉄道により来訪される姿が見られます。
目的地は、主要な観光スポットだとしても、まちの魅力が「点→線→面」になるにつれ、より一層そのまちの魅力が増すことでしょう。
主要な観光スポットも、時代が進むにつれ魅力度も変化していきます。魅力的な空間が点でなく、面で構成されれば、時代の追従に従って魅力的な空間へ変化させるべきところはその時代ごとにつくりつつも、守るべきものは守り、次の時代の魅力スポットになるために温存していく。それらのまちを持続させていく要素、サイクルを考えて行かないと、ポイントでその時脚光を浴びた魅力が陰ってしまうと途端に魅力がない都市、地域になってしまう。

地方では、特に地域デザインというよりも、従来の土木建設的な思考が強い感じがします。
屋外空間、まちば空間、都市空間はハードなことだけでなく、人々がその地域で働き、交流し、生活ができるということが、魅力的なまちになる。ということだと思います。
ハードだけ、ソフトだけでも...双方が連携しないと。
それがトータルプランニングにかかわる「地域デザイン・環境デザイン」というこれからの時代を抱える新しい分野なのだと思います。

いままでいろんな事象を調査・観察・分析しまとめた学術的なことと、現実的な仕事における実務的なこととがうまく絡んでくれると、双方から、お互いのことを理解できない、使えないとけん制し合って事が進まない、ということを無くす、少なくすることができるのでは無いでしょうか。

同じ考えるエネルギーを使うのなら、建設的にものごとを進めた方が時間的、労力的にもエコなのでは。 と、思ってしまいます。

2011年8月24日水曜日

夢や希望を与えることを忘れないで!!

日本の様々な分野における技術的なこと。

現在、いろんな狭間で方向性が定まらない状況にあります。

震災の復興しかり、公園緑地などの空間の計画・設計・施工の仕事しかり。

ランドスケープの設計の仕事は、専門的に高校や大学で学んできた学生ややる気のある若手が職に就けない、職に就けても生活が苦しい状態も...。
まだまだ受け皿として、職としての確立が広く出来ているようで出来ていない状況であり、心苦しいです。

順調にいっているのは、ほんのわずかの有名どころだけといっても過言ではありません。

ですが、これからの将来を担う若手技術者に、年齢関係なく現役で働いている世代は、少しでも希望を与えられるようにしていかなくてはいけないことは事実だと思います。

建築、一般土木、ランドスケープの設計をはじめとする専門的な会社をうごかしていくのであれば、技術的なことや将来的なことを踏まえて技術者を大切にして欲しい。

そして、希望をもって働く若者のためにもベテラン技術者は、技術的に任せることは任せる。足りないところは考えさせるようにサポートをきっちり行う。疑心暗鬼させるようなことはしないよう心がける。

どんな世界でも人をぞんざいに扱うと、そのしっぺ返しが必ず来ます。
今の若い世代は、熟年の大人たちの行動を冷静に見つめています。
自分たちの世代のためだけでなく、これから支えていくであろう若い世代のこと、全体の世代のことを広く見つめ考えませんか?

2011年8月22日月曜日

言葉づかいの大切さ

建築や公園のプランニングの仕事は、クライアントと話をし要望を聞き取ったり、提案を行ったりと様々なコミュニケーションが生じます。

プランニングは「ピカイチ」なのだけれど...


クライアントから見て幻滅してしまうものとは。

① 言葉づかいが乱暴。横柄。上から目線でものを言ってしまう。

② 名刺交換や書類提出時のしぐさ。手を添え方、お辞儀の仕方などが乱暴である。

公共の仕事をする人は特に、一般のお客様を相手にすることが少ないことから、上記のことが抜けがちであります。若手がきっちりしているのに、上司がきっちりしていないと、その会社の印象はとても良いとは言えません。その逆で上司がしっかりしていても、対応する技術者の対応が良くない場合も言えます。

お客様だけでなく、下請けの技術者や部下に対する言葉づかい、その他対応についても一緒です。

言葉づかい(聞き取りやすさも含めて)や繊細なしぐさを出来ているか、出来ていないかで、その人やその会社の印象、見方がだいぶ変わってきます。印象だけで信用できる、信用できないという判断が下されることもあります。

同じ技術力、提案力であるのなら、きっちり、丁寧な対応の利く技術者の方か印象がいいですよね。

忘れがちでありますが、仕事上で重要なことのひとつです。

若いうちは、修正が利くけど、年をとってからではなかなか修正できません。
若いうちにいろいろ経験して軌道修正出来た方が、自然と意識しないうちにきちっとした技術者なれる(なれている)ので得です。

2011年8月21日日曜日

地方中小企業 と 中央大手企業 の資格格差より思うこと

建設系の仕事(都市などの計画もの、建築、土木、造園の設計、施工)においては、地方中小企業では資格を取得するための教育は、中央の大手企業と比べると皆無に近い状況であります。地方中小企業に勤める技術者は、独学などにより資格試験の勉強を学んでいるのでどうしても中央には勉強の要領も含めて敵(かな)わない状況です。
かかわっている建設プロジェクトも中央と比べると限られ、実体験することも出来ないので、頭だけで考えても身に付きにくくなかなか実感がわかないのというのが実情です。

中央大手企業と地方中小企業では、資格取得のしやすさの面では雲泥の差が生じてしまいます。
大手に勤める技術者とは別の意味での苦労が絶えません。

資格制度についての不公平感、その他の不公平感など、末端ではいろんなしわ寄せが来るので正直苦しい状況も多々あります。

「地方の格差はつきものであるが...打開はできないものか」

苦しいところで努力している人の方が、人間的にはすばらしいのですが、教育システムが整っている大手の方が資格が取りやすい。社会の理不尽さが残念でならないです。

本当は資格を持っていることよりも、その人の仕事に対する姿勢(人間性)が問われます。
資格と実益のミスマッチというところでしょうか。

中には資格を持っていることを盾に、あごで人を梃子のように扱う技術者(なにもしない技術者)もいます。が、いずれ信用を失い、反感も喰らい、人も離れていってしまうのが事実です。

ですから資格があっても、技術力もしかり人間的にも良くないと、いろんな意味で仕事は出来ないんです。
実際に、コントロールしているだけの人よりも、詳細に積み上げて仕事をしている現場の声の方が現実的で説得力もあるんです。

自分は一緒に仕事をともにするのであれば、資格を自慢する人よりも仕事の内容で苦労話などを自慢する人の方が、技術魂、玄人魂があって内容も充実、高い質のものがつくりあげられる(パフォーマンスが高いものを提供可能である)ので苦労人の方が好きですね。

2011年8月19日金曜日

地方でデザイン的な仕事は実現可能か?

最近の傾向として、華のある仕事は建築やランドスケープ、土木的な分野においては民間開発ベースのものが優位性が増しています。

人の集まるところには、付加価値として形をデザインしたもの、造形物を設置することに理解もあり、人の目にもとまりがち。

地方では民間開発ベースのものが少なく、どちらかというと公共整備ベースのものの割合が多く占めます。



土木やランドスケープの分野においては、地方ではなかなか数をこなす機会に恵まれなく、空間を創造する力、思考力を業務の中で訓練していくことは難しいことも言えます。

せっかく、空間を創造する機会のある仕事でも、いち土木的な技術視点のみでこなされてしまうこともあり、空間整備する意味合いが薄れてしまうこともしばしば。
(業務を請ける会社側の技量にもよりますが、発注側の仕組みについても多少問題はありそうです。本当は、専門的な業務はそれをこなすにふさわしい会社を指名に入れるべきなのですが、地方では会社のコマも少なく、造園、土木の会社がひとくくりにされてしまいがちな一面もあります。そして、専門的な会社も少ないのも事実であり、どうすることもできない状況でもあります。)


もし、学生のうちに設計課題などで空間を創造する機会があったときは、いろんな思考力を働かせて考える力を養ってください。そうすれば、地方でも数少ない業務の中において、何らかの形で創造力を活かす事が可能な物件にめぐり合ったときに力を発揮することができると思いますので。


地方でも、学生のときに建築、土木、ランドスケープデザインの基礎を学んだ方々が、社会に入って将来的に業界全体を底上げすることに寄与することができれば、地方の抱えている技術の低迷や思考力のマンネリ化は多少なり軽減できるはず。

少しずつでも、従来の考え方を打破していきながら21世紀型の新しい考え方を採り入れていければ、専門で学んだ学生さんを業界で受け入れることも可能でしょうし、すでに業界内で働いている人にもこのままではいけない、従来の考え方だけではいけないという危機感を覚えることにもつながるのではないでしょうか。

地方では、確立された技術をこなすことができても、創造論的なものがまだまだ弱い感じがします。デザイン的なものはなおさらです。

自分も学生時代の方が、発想が自由で豊かだったなと感じるくらいですから、地方の建設系業界はまだまだ発展途上なのでしょう。
そして、学生時代の頑張りの方が華があったと感じてしまうさみしさがあります。

「他地方のデザインを見て、自分のいる地方のデザインの良し悪しを考える。」 

閉鎖的な環境に慣れてしまわないよう、地方で建設系の業界で働くときはできるだけ視野を広く持つよう、行動範囲を地域に限定することなく(もちろん、地域を十分見ることは必要)、いろいろ見てまわる、見て学ぶことが必要です。


都市部に勤める技術者よりも、情報収集面で苦労することのないよう、人一倍アンテナを張り頑張らなくてはいけないのが、地方でやっていくための技術者に必要なことであります。

2011年8月18日木曜日

地方都市で専門的な技術者を育てる土壌づくりは? 【仕事の話題系:提言的なもの】

現状においては、都市計画、建築や土木、造園などの建設系のコンサルタントと呼ばれている会社では、ほとんどが末端の実施設計分野にしか携われないことが多くあります。
そして、梃子(てこ)的な業務にしか携われないことも多く、一部コンサル以外の大多数の建設コンサルは技術的な成長速度に足踏みをしている業界全体の状況であります。

結果、地方コンサルでは計画や構想、デザイン分野の思考がなかなか育つことの出来ない状況です。


現在、若者の中では、大学等で専門的な勉学などをこなし、きちんとした考えを持っている将来の技術者は沢山います。

問題なのは、その将来の技術者の雇用、受け皿、専門的知識を育てていく環境に乏しいことであります。ある意味、専門的業種における雇用のミスマッチも起こっています。

まずは、今までの末端の仕事しか、パターン化された仕事しか出来ない環境を改変していくことが必要です。
これらが改善されないと、企業に属している技術者の成長も見込めず、東京などの大手、専門コンサルでしか専門的知識が蓄積されないという循環に陥ってしまいます。

本来、地場のことは地場に暮らす人、地場の技術者でしか知りえない情報が沢山あります。
地域性を創出することは、これらの地域情報をいかに専門的知見でつくり上げていくか、それができないかで、地域が活性化する、衰退していってしまうことにつながっていきます。

地域文化と専門的知識がリンクすることが重要なのです。それが地域を創出する、地域風土を形成することにつながります。


「大学などで勉学をしてきた若者の新しい知識、感性を採り入れること。希望を持つ若者を育てていくこと。」

これができるかできないかで、その地域が今までと同じような単なる都市部の梃子(てこ)的な業務しかできないか、地方でも斬新なことを考えられる一目置かれる業務ができるようになるか のどちらかになってしまいます。

自分の会社のことだけでなく、地域や業界全体のことを見据えながら問題意識を持って、地方の技術者は日々考えることをしていかないといけないと思います。

全体的なものを見据えながら、地方の技術者でも可能な細かい、痒いところに手が届く。というのが地方技術者の利点だったのでは?


【東北芸工大の卒業生で例えれば】
東北芸工大で、環境デザインを学んできた卒業生、現在現役の技術者は、それぞれの地方で今はいろいろと苦しい状況、逆境にある方も多いかと思います。生活していくのもままならない状況も。

それにめげずに頑張っていくこと、辛抱強くやっていくこと。そして力をつけていくこと。

東北の地「山形」で、純粋に専門的なことを学んできた蓄積、ノウハウ、感性、我慢強さがあるのですからこれらを基礎として、これから先を担う後輩たちへの将来の門戸を広げていくことが、専門分野で働いている技術者(卒業生)の使命でもあると思います。

都市部だけでなく、地方部でも活躍できる場をつくっていくこと。
地方が疲弊しないためにも、多くの将来の技術者を育てていくことにおいても必要なことです。

専門的分野を学んでも、その志が実現できない状況では、せっかく学んだ多くの知識が無駄になってしまいます。

ある意味、そういう状況にしてしまっているのは社会全体の責任でもあります。できることから少しでも、それらの良くない状況を改善していかないと、社会の不公平感の払拭や理想を追及していくことに繋がっていきません。


【若手技術者を育てていく環境づくりを怠ると...】
若手技術者を単なる梃子(てこ)にしか扱わない状況では、その若手技術者も育っていきません。考えさせながら実践をし、その不足する面をカバーするなどのフォローも必要です。考えながらでないと、失敗の経験が活かされる事無く、同じことの繰り返しになってしまいます。
ベテラン技術者には子供をうまく育てるのと同様に、若手技術者の育成にへも力を注ぐ、考えることをしていかないと、会社や業界自体が尻つぼみになってしまいます。

トップダウン形式でも、ボトムアップ形式だけでもない。それぞれの良し悪しを理解し、その状況にあわせた使い方をすることです。
横から目線という新しい発想も...なでしこジャパンから学んでいますよね。

今の時代、「みんなで力を合わせながらアイデアを出し合い、これから役に立つ創造的なものを造っていく流れ」 です。

地方でも、専門的な分野の業種をこなすことが出来るよう、情報ネットワークの構築、いろんな情報や知見を知ることが重要です。
地方の閉鎖的な状況、ガラパコス化も地方の特性を出すにはいいかもしれませんが、それにしても、外の状況をみて、その地方の良し悪しを見ることは忘れてならないことです。

そうでないと、地方を愛することができない。
表面上はそういいつつも、中身的には充実していなく地域特性を創出していく仕事はできないのです。

地方に足りないものを、中央からの上から目線だけでなく、地方からも考えていくことがキーとなります。それが実行できなければ、いつまでたっても梃子(てこ)のままの地方技術者、格下な地方の建設業界になってしまいます。
また、力のある若手、精力的な若手技術者が地方に就職しても地方の業界に幻滅し、最終的には都市部や専門的な他社のコンサルへ流出してしまいます。
地方で抱えている人口流出の問題、地方の衰退にも多少なり加担してしまっています。
(それは、魅力的な働く環境、専門コンサルがないからではないでしょうか。)

公園緑地・ランドスケープデザイン領域の仕事で言えば、地方ではまだまだ土木の一領域ととらわれています。
専門で学んできた人や、この分野に関心のある人が設計に携わるのならいいとしても、それ以外の専門外の技術者が、道路・河川と同じような感覚で公園を設計してしまい結果的に失敗してしまうことが多々みられるということで、地方ではまだまだ専門分野が成熟しきれていません。

各専門分野の底上げの為に、 少しでも、
「高校や大学で専門的に学んできた若者や関心のある技術者にこれらの設計をやって欲しい。」 
というのが、本音です。業界の技術力、発想力、思考力、創造力の向上のためにも。


これから社会を担っていく若者、後世の世代につなげていくためにも、従来のやり方を見直しながら、これから先21世紀型の地方の新しい仕事のやり方を一人一人が自覚をもってやってみませんか。

地方において専門的な仕事の土壌を耕していくことも、地方で働く技術者、現役世代の役割なはずです。
自分も含めて、カツを入れていかなければ!!

2011年8月5日金曜日

人を動かすためには、自分も動く(かなくては...)

仕事の世界や、日々のプライベートの世界においても人の協力を仰いで事を進める場面は、日常的に多くあります。

クラブ活動、部活動においても同様なことが言えたはずです。

仕事において、人を動かす、協力してもらう為には、自分の方から骨を折る覚悟で物事を進めないとうまくいかないことも多々あります。

give→give→give(相手へ与えるだけ) だけでも自分が疲れてしまいますし、take→take→take(相手からやってもらうだけ) だけでも、自分が見放されてしまう。
give & take の日本でいう「モチツ・モタレツ」 の関係を築いていくことが、仕事や物事を円滑に動かす為に必要なことであります。

先日の設計に関する講習会においても、最終的には人である。ということをおっしゃっていました。
その人の仕事に対する姿勢や、人を上手に動かすことに対してどうあるべきか。を考えさせられますね。
(仕事だけでなく、いろんな場面でも同じですね。)

いくら上の立場であれ、客の立場としてであれ、横柄な人には、その場限りで人はついていきません。

会社を動かすこと、地域を動かすこと、イベントを動かすこと...。

うまくいっているところは、一つの要素として、(率先して動くメンバーがいる、モチツ・モタレツが実行されている)そこのところが大切にされているのだろうと思います。

2011年8月3日水曜日

設計の仕事とは どういうこと?(資格や業務の考え方)

とある、設計技術者向けの講習会でのお話。

設計の仕事に関する話題があり、自分の周りの仕事環境にあてはめて考えてみました。

資格を持っていればいいか?

資格は、他人から評価される上での一種のバロメーターとなりえますが、現実問題として時代の流れについていけない有資格者よりも、仕事をきっちりこなす時代のニーズを把握した若手技術者の方が、評価されることも多くあります。
しかし、仕事だけできればいいかというと、はじめの印象も大きく左右されてしまいますので、資格をもっていることに越したことはありません。
(きっちり仕事を対応してくれるということを相手方に理解していただける、信用されるには、長年の積み重ね、対応が必要になってしまいます。自分の経験的には、資格があればもっと効果的だなと感じているこのごろです。)

一番問題なのが、資格を持っていることを自慢して、仕事をきっちりこなさない(こなせない)技術者のことであります。
資格を持ったのなら、その実力を実行して資格に恥じないようきっちりこなしていくことが一番大切です。仕事をこなせない、技術的なことを提案できないのであれば、その資格について自慢することは逆効果にもなってしまいます。気をつけなくてはいけないことの一つです。


(講習会の内容を解釈すると)
設計とは、
技術だけわかっていてもダメで、仕事をうまく進めていくための手法、段取り、人と人とのコミュニケーション能力を持つことが非常に重要なこと。

企業の儲けを第一優先的に考えてしまうと、結果的に信用を失い、指名にも入れてもらえなくなり結果業務をとるきっかけを失ってしまうので、企業の経営状態も悪化の一途をたどってしまいます。

品質を保ちつつも、会社の経営に大きく影響を及ぼすことなく、信頼を得られる仕事をこなしていくことが、結果的にも入札指名にもつながり、評判にもつながっていくので、技術者の利益をはじめ会社の利益にもなりえます。
(技術的なことだけでなく、営業的なことでも同じです。)

常日ごろ、自分の身近で(良くも悪くも)起きていること考ると、日々疑問に思っていることが、全く当てはまってしまう状況で、考え方は間違っていないものだなと感じた次第です。

後は、可能な限りレスポンスを良くすること。(ワンデーレスポンス)
ワンデーレスポンスも内容のある、的を得たレスポンスの方が望ましいです。
内容の薄い勢いだけの同じ繰り返しのレスポンスはかえって相手を失墜させてしまいますので注意です。

PCに翻弄(あたふた)されることなく、いい意味でPCも駆使することでスピード勝負に立ち向かえるようにし、かつ知識の引き出しを多くすることが、打ち合わせ時にも話題が途切れることなく、別の視点から話すこともできるようになるのでより説得性が増します。

自分も、まだまだ。
今の現状に満足してしまっては技術者としても成長は止まってしまいます。業務をこなす傍ら、探究心を持ち続けることが信頼される技術者になるための方法のひとつです。

普段より業務をこなしていれば、いずれ自分なりの答えがきっと出てくるはずです。人に言われてからやるのではなく、自分で考えながら進んでこなしていくことが重要ですね。