近年では、JR宇都宮線の宝積寺駅(高根沢町)や雀宮駅(宇都宮市)の駅および関連施設の整備が行われています。
宝積寺駅とその周辺は、建築家の隈研吾先生の作品、監修でもあり、栃木県内では、ちょっと違った新しい空間であります。
鉄道における都市(まち)の形成は、電車が走る前の蒸気機関車の時代にさかのぼり、太平洋側と日本海側では、表口がどちらになっているかの特徴が伺えます。
太平洋側では、仙台駅や盛岡駅、福島駅、宇都宮駅、大宮駅のように西側にまちが形成されています。
日本海側では、山形駅などをみると東側にまちが形成されています。
理由としては、風の吹く方向にあるようです。
現在では、電車がほとんどを占めますので、東西どちらにまちが形成されても生活に大きな支障は生まれません。
しかし、昔は蒸気機関車による煙がまちの上空に入らないよう、風上側にまちが形成されているのです。
よって、仙台駅を代表とする太平洋側では西口が往時からの市街地(青葉山方面)として栄えており、東口(海側)はあたらしいまちのイメージとなっています。
山形駅を代表とする日本海側では、東口(蔵王方面)が往時からの市街地として栄え、西口(霞城セントラル周辺)はあたらしいまちのイメージとなっているのです。
(それはさておき、本題の駅周辺の再整備について)
新しいまちを形成する上で、従来から栄えている側の口(南口だとすれば)と反対側(北口)にまちが形成されます。
区画整理事業によるものが関係してきますが、うまくいっている事例(ケース)は別にして、ほとんどが「都市計画側の規模の分析・用途の配置計画」 と 「建築や外構などの空間デザインの計画」とがヒューマンスケールにおいてリンクしてこないことが伺えます。「道路設計」もまた、機能のみの標準断面的な設計となり、より空間デザイン的要素が疎かになりつつあります。
どうしても、分析の部分とかたちの部分が切り離されて考えられてしまっているので、しっくりこないどこにでもある郊外の駅前空間となってしまうのです。
今の時代、建築やランドスケープを中心とする、まちの表情、ロケーションについて広く一般の人にも認識されている世の中。
適正な規模算定ができても、デザインが一致しない。
その逆の デザインはいいけど、規模が一致しない ということが大いにいえます。
必要なのは、どちらかが上、下の関係であるということではない ということ。
計画手法の考え方 |
双方の分野を理解しながら、お互いに詰めていき、利用する人の立場や心地よい空間を創造するという視点に立って計画を練ることが重要ということです。
せっかく整備するのなら、どこにでもあるような無機質な空間構成よりも、魅力ある賑わいのある駅周辺の空間の方が魅力的で人も集まりますよね。整備効果も高いはずです。
単に整備することを最終の目的地点とするのではなく、人々が居心地の良い空間を整備、創造することを目的とし、さらに次世代型の環境共生やエコなどの分野もバランスよく組み込んでいくこと。
今では、様々な高校や大学等で専門的に(建築や都市を含めた)空間デザインを学んでいる学生も多く世の中へ輩出されつつあります。従来の凝り固まった考え(画一的な考え)を打開しながら、魅力ある空間の創造に努めませんか。
トータルで計画からデザインを通して見ることが出来る技術者(役所やコンサルに限らず)が、地方にはまだまだ必要なのです。 そして、志をもって事業に取組む方が地方にもっと増えて欲しいと思います。
技術論にプラスαの空間創造論的考えを加えること、これからの建設系の仕事には重要なことです。