設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年7月31日日曜日

東北 山形から学ぶ

学生時代にいろんなことを学んだ山形という土地柄。

ここには、首都圏にないなにか心が純粋になれる魔法があるかのような温かい土地柄であります。

大学においては、周辺が緑や山で囲まれ市街地が一望できる環境にあることが、大学で学ぶ学生さんの方々には一つの大きな財産になっています。

大学敷地内から市街地を眺望できるスポットはたくさんあります。

環境デザインの分野においては、東京などの首都圏と比べると著名な建築や公園空間は確かに少ないかもしれませんが、山形のおおらかな大地がフィールドとなっていろんなことが学べるはずです。

四季折々の自然環境、歴史的なものが大切に守られ現代にも活用している建物、地域の文化とその土地の方々との文化的交流、などなど。

現在も大切に活用されている旧山形県庁「文翔館」
大江町左沢の農村風景
山形の市街地にできた蔵を活用した観光スポット
いろんなことを学ぶということは、頭で考えているだけではなく、実際に行動してみる、足を運んでみる、人と接してみる、話してみる、目で実際のものを確認することも重要な要素の一つであり、本やインターネットで調べた内容とはまた違った発見があります。

東京などの都市部では、人と交流したり実際に物をみることはもちろんできます。
都市部では、クラッシュとビルドのスピードが速い分、同時に大事なものを忘れてしまう、失ってしまうこともあります。

地方に残っているもの。本来人間が築き上げて成熟させていったものでもあります。
山形などの地方都市や農村環境では、都市部にない自然のこと、風景のこと、温かい人と人とのコミュニケーションが残っているのです。

地方で学べる環境にあること、そして同時に中央のことも知識として教えて頂ける先生方もいる。
これは芸工大や山形の大きな財産。

ですから、関東に身をおく自分にとっては、原点に戻れる場所が山形であり母校の大学でもあるのです。

2011年7月22日金曜日

社会人なってからわかること や 後悔すること

学生時代は、建築やまちづくりなどの課題に一生懸命になって取り組んでいた自分があります。

少なくとも、今現役の学生さんも同じような状況にあるかと思います。

一生懸命に、将来の夢や希望に向かって自分を推し進めることは非常に大切なこと。


では、社会人になってその情熱は学生のとき同様に活かされるか、周りも理解していただけるか というのが課題となっています。

学生のときは、その専門の道を進みたいという若者同士が集まって切磋琢磨して、創造力も働かせていろいろと課題制作や論文作成、課外活動など多岐に渡り行うことがあたりまえの環境でもあり、そして理解も得られやすい状況にありました。


社会人になってからは、どうか。

建築や都市計画、ランドスケープデザインなど、学科で学んだことを活かす事が出来る会社や設計アトリエ、設計事務所に入れることは、並大抵のことではありません。ましては、今の時代は10年前と比べてもっと社会状況は厳しい。

理解のある会社や設計アトリエなどで、創造力を働かせた仕事、自分から進んで取組める仕事に就くことができれば、学生時代に訓練された思考力や行動力は活かされることが多く、人生も順調に、専門の資格もとって活躍している人間になっていることでしょう。

しかし、現実には会社もよりますが、縛りが強い会社も多いのが実情で、学生時代の情熱、創造的な仕事への情熱などに理解のない会社もあります。結果、その会社の内部だけにとどまらせて(かくまってしまい)次第に技術力も、発想力も失われていってしまうこともしばしばあります。


後悔しないためにも、自分にとっての将来を良く考えること。

半分は勉強できる環境におくことも重要です。どうしても、会社のコマになることだけ考えると、技術の向上という面では限度、限界があります。
第一線を担う技術者は、業務をこなす傍ら、勉強や研究などにも熱心です。(技術や知識の強化はもちろん、創造力を持ち続けています。)
就職活動で(限られた情報の中で)仕事としてやりたい専門業種について見極めることは、なかなか難しいです。
その中でも、人生後悔しないためには、これから勤めようとする会社、設計アトリエなどについての性質や仕事環境をよく研究、下調べすることも必要です。

自分の場合は最初は(精神的には)鍛えられた反面、(技術的には)損してしまった部分もあります。それは仕方のない事でもありますが、いち地方の土木設計会社では、空間デザインや特殊な設計をする機会にはなかなか恵まれにくいのが事実です。また、閉鎖的な仕事環境になっていることもあります。

ある程度見極めた上で次のステージに はいあがれる様、常に向上心を持つことは重要です。
社会のプレッシャーやしがらみに負けないよう、継続して努力することはとても大切です。

社会的には出る杭打たれるという状況もありますが、それにめげずに技術力、想像力を高めていけば、ゆくゆくは打たれてもへこまない丈夫な杭になっている(技術力や想像力で他人を寄せ付けないくらいのレベルまではい上がっている)ことでしょう。
ただ、やみくもにやって蹴散らかすことはあってはならないことなので、そこは注意です。

ちょっと重たい話になってしまいました。

設計の仕事は、技術力、創造力、研究心を持ち、自分の芯(信念など)を忘れずにやっていくことが重要ということかなと、自分なりに解釈しています。

2011年7月17日日曜日

学生時代の経験は、何らかの形で活きてきます。(芸工大:建築環境デザインの場合)

建築・土木・公園などの企画や計画、設計において、活きてくるものがいくつかあります。

今の仕事で学生時代に身につけたものが糧になっているものとして、

① プロポーザルや企画書を書くときのデザインセンスや配置バランス、色使いへの配慮
(設計課題の作成でだいぶ鍛えられました。その他、新聞を作成したり、研究のレジメや要約を作成したことも、感覚として身つけることを学生時代に訓練させられたことが、今に活きます。)


② 地域のことを考えることについて
(まちについて考えることや、地域を盛り上げていくこと、人々のの生活、営みを把握しながらも歴史、文化をどう残していくか、どう現代に活用させていくべきかを 考える思考や感覚がまちの空間を考える仕事へも結びつきます。)

③ ディテールへのこだわりや、形を想像する感覚
(建築や都市計画、土木、造園に限らず、人々の生活する場、憩う場を形づくっていく創造的な思考や感覚。建設系の業界を離れたとしても、形や構想をバランスよくまとめることはきっと役にたつはず。)

④ 疑問に思うことを、何らかの形で実現、改良していこうという行動
(今の現状に満足することなく、解決の糸口が見つからないかを探求する感覚。ひとそれぞれですが、何かやろうとする人には、そういうプロフェッショナルな人が集まってくる不思議な現象もあります。自分はまだまだですが...。)

芸工大で都市計画や建築、ランドスケープの課題を通じて学生時代に培った経験や技術は、建設業界に限らず、決して無駄にはならないかと思います。
少なくても、考える力、創造する力、まとめる力、構成する力は訓練されているわけですから、どのような業界、社会においても必要なこと(さわりの部分)を一通り経験してあるはずです。
(専門分野の思考を突き詰めていく技術のほか、締切までに間に合わせる技術。限られた時間で考える技術など)

社会人になってからは、それらの考え方を糧に、考え方の基礎の一部にして、自分なりに工夫して経験を積んで家庭をはじめ、会社や社会に貢献できる人間へ成長するものだと自分なりに思います。


人によって考え方も違いますが、自分は学生時代に経験したものを土台として、それよりも内容の濃いもの、役に立つものを追求していくことを忘れずに邁進する限りです。

(単純に、与えられたものを無難にこなすだけでは満足いかない、納得できない感覚が植えつけられているのかも。(笑))

2011年7月11日月曜日

歴史の面影 と 魅力的な都市づくりへ向けて

今、様々な地方都市では中心市街地の衰退や、市街地空間の陳腐化など、様々な問題を抱えています。

自分が現在住んでいる宇都宮についても、同様なことがいえ、
学生時代に住んだことのある、山形についても、昔と比べて郊外が賑やかになってきています。

都市の構造をみると、宇都宮も山形も現在のJR駅を中心にL型の都市骨格をしております。
中心部の魅力をこれから先、どのように進めるべきか。

まずは、都市の構造的な特性を把握していくことが必要です。
 (ざっくりとくくると一般の人から見れば、都市計画のような分野のことです。)

宇都宮は関東地方なので、太平洋側という立地状況から駅から大通りが西へ延び、県庁前交差点を北側へ行くと県庁があります。昔は市役所も近くにあったそうです。

昔あった栃木県庁(2003.08当時) 今は正面が一部残っているだけで建物は変わってしまいました。

山形は東北の日本海側(東北の太平洋側は仙台)なので、 駅の東側へ大通りが延び、七日町の交差点を北へ向かうと、旧県庁(文翔館)と市役所があります。

旧山形県庁(文翔館)
都市の骨格(山形と宇都宮) 距離や形はデフォルメしています。形のイメージとして。

どちらの都市も、往時の土木県令・三島 通庸(山形、福島、栃木の県令を務めました:県知事のような地位)の影響を受けているような感じです。
昔は、蒸気機関車の煙が都市部へ流れ込まないよう、風の方向を考えた都市づくりが行われていました。

その他、共通することは。
城址公園があることもひとつ。

宇都宮城址公園は、最近お城の一部が復元され公園化されています。
昔はアイススケート場があったという話も。

宇都宮城址公園(一部の土塁とお堀が復元されています。)

山形の霞城公園(かじょう公園)は、現在お城の復元工事をしています。
今も、体育館や野球場などの施設があります。

霞城公園(山形市)の内堀にある木橋と城壁


霞城公園内(山形市)にあるお堀のライン
昨日、霞城公園へ見に行ったとき、宇都宮城址公園と同じ手法で、お城のお堀の位置、城壁の位置が記されているのがありました。

宇都宮城址公園内のライン(右側の側溝の右脇)

歴史的なものを見直す動きは、各地で見られています。
それをどのように、現在のライフスタイルに融合させていくかで、活性化できる、余り活性化できないのどちらにも転じるように思います。

まちについて人々の生活を守っていくこと、自立させていくことはもちろんのこと、まち全体を歩く観光資源としていくには、形はもちろんのこと、魅力的な都市づくりも視野に入れないと、つくって終わりになってしまいます。

まちにはあらゆる要素があるのです。いろんな視点からまちを見た上で、魅力的なまちあるき、街散策のできる都市が、歴史を守っていく、活用していくことにも繋がっていくのではないでしょうか。

また、住んでいる当事者や行政、学術研究者が連携し、それぞれがひとり歩き、主張だけして平行線をたどっていくことだけは避けて、建設的に物事が進んでいくことを、学生時代に建築や都市計画を含めた環境デザインを学んできたからこそ、今公園などの空間づくりの仕事に携わっているからこそ、今になっても強く思います。

きっと、それが実現できたときには、魅力的な都市が出来ることなのではないでしょうか。

2011年7月8日金曜日

栃木の観光地

東京から関東一円の観光地を見た場合

神奈川の観光地は、東京から近いこともあり気軽に足を運べるということもあり栄えていますが、栃木では、神奈川と比べると距離的にも少し遠い感があることは否めません。
震災の影響もあり、日本各地の観光地とよばれるところは、非常に大変な思いをしております。

そして、この夏の暑さにおいて、節電への取り組みによる都会での涼を得ることがなかなか難しくなりつつあります。


こういうときは、少し山の方面(標高の高いところ)へ足を運び、自然の風で涼しさを感じることは如何でしょう。

栃木では、有名な観光地として、日光・鬼怒川があります。
日光は避暑地として、日本においては先駆けとなったところであります。

神奈川が箱根ならば、栃木は日光です。

⇒ こちらの過去ブログを参照
3月1日のブログで示した位置関係
http://it-env-design.blogspot.com/2011_03_01_archive.html

神奈川と栃木では、大手私鉄によって観光地が東京と1本で結ばれています。 (過去ブログより)

10年前と比べたら、日光へもだいぶ足を運びやすくなりました。
(JR~東武相互乗り入れでも行けますし。)

JR~東武相互乗り入れの 日光号・きぬがわ号 (東武日光駅で新車両お披露目会の時)

ほか、北関東での避暑地といったら群馬の草津などもありますね。
北関東のいろんな自然やまちをみることは、意外と新たな発見もあったりします。

自然を見ること、体感すること、観光地へ足を運びそのまちの雰囲気を体感すること。
こういうときだからこそ、心を充実させる意味で必要なことかもしれませんね。