設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年7月11日月曜日

歴史の面影 と 魅力的な都市づくりへ向けて

今、様々な地方都市では中心市街地の衰退や、市街地空間の陳腐化など、様々な問題を抱えています。

自分が現在住んでいる宇都宮についても、同様なことがいえ、
学生時代に住んだことのある、山形についても、昔と比べて郊外が賑やかになってきています。

都市の構造をみると、宇都宮も山形も現在のJR駅を中心にL型の都市骨格をしております。
中心部の魅力をこれから先、どのように進めるべきか。

まずは、都市の構造的な特性を把握していくことが必要です。
 (ざっくりとくくると一般の人から見れば、都市計画のような分野のことです。)

宇都宮は関東地方なので、太平洋側という立地状況から駅から大通りが西へ延び、県庁前交差点を北側へ行くと県庁があります。昔は市役所も近くにあったそうです。

昔あった栃木県庁(2003.08当時) 今は正面が一部残っているだけで建物は変わってしまいました。

山形は東北の日本海側(東北の太平洋側は仙台)なので、 駅の東側へ大通りが延び、七日町の交差点を北へ向かうと、旧県庁(文翔館)と市役所があります。

旧山形県庁(文翔館)
都市の骨格(山形と宇都宮) 距離や形はデフォルメしています。形のイメージとして。

どちらの都市も、往時の土木県令・三島 通庸(山形、福島、栃木の県令を務めました:県知事のような地位)の影響を受けているような感じです。
昔は、蒸気機関車の煙が都市部へ流れ込まないよう、風の方向を考えた都市づくりが行われていました。

その他、共通することは。
城址公園があることもひとつ。

宇都宮城址公園は、最近お城の一部が復元され公園化されています。
昔はアイススケート場があったという話も。

宇都宮城址公園(一部の土塁とお堀が復元されています。)

山形の霞城公園(かじょう公園)は、現在お城の復元工事をしています。
今も、体育館や野球場などの施設があります。

霞城公園(山形市)の内堀にある木橋と城壁


霞城公園内(山形市)にあるお堀のライン
昨日、霞城公園へ見に行ったとき、宇都宮城址公園と同じ手法で、お城のお堀の位置、城壁の位置が記されているのがありました。

宇都宮城址公園内のライン(右側の側溝の右脇)

歴史的なものを見直す動きは、各地で見られています。
それをどのように、現在のライフスタイルに融合させていくかで、活性化できる、余り活性化できないのどちらにも転じるように思います。

まちについて人々の生活を守っていくこと、自立させていくことはもちろんのこと、まち全体を歩く観光資源としていくには、形はもちろんのこと、魅力的な都市づくりも視野に入れないと、つくって終わりになってしまいます。

まちにはあらゆる要素があるのです。いろんな視点からまちを見た上で、魅力的なまちあるき、街散策のできる都市が、歴史を守っていく、活用していくことにも繋がっていくのではないでしょうか。

また、住んでいる当事者や行政、学術研究者が連携し、それぞれがひとり歩き、主張だけして平行線をたどっていくことだけは避けて、建設的に物事が進んでいくことを、学生時代に建築や都市計画を含めた環境デザインを学んできたからこそ、今公園などの空間づくりの仕事に携わっているからこそ、今になっても強く思います。

きっと、それが実現できたときには、魅力的な都市が出来ることなのではないでしょうか。