北関東や東北の都市と比べても、ひとつひとつのスケール、まちの濃密度が異なっているのがわかります。
主な移動交通手段が鉄道による都市圏は、駅の周辺に小規模な商店が集まり、商店街を形成し賑わいや生活感を感じることができます。
地方都市では、車社会への移行により地方路線の鉄道駅周辺の商店街は寂れてしまい、郊外型店舗へ人が流れてしまっている状況です。
鉄道により人の行き来ができる都市をはじめ、観光地もそうですが、歩くスケールでのまちの姿を見ることができます。
例えば、路地空間とその両脇に並ぶ商店街においては、路地空間が広くない分、お店と路地を歩く人の距離も近い。
その中には、そこの土地に住んでいる者どうしが顔見知りだったり、その中でのなにげない交流も生まれているのだろうと感じます。
まちの魅力とは、人で賑わう傍ら、その中に人同士の交流、やりとり、歩いていて楽しいスポットや目を引く建物があったり、空間があったり...。
幹線道路の歩道ひとつにしても、北関東とはちがう...。
千葉県市川市役所近くの緑陰空間と歩道。 |
幹線道路(国道14号)沿いにもかかわらず、大切にされている。 |
幹線道路で車の行き来が多いですが、樹木が切られず守られているのが魅力的な空間をつくっています。 |
程良い、囲まれ感というか、空間にさみしさや飽きのこない日常のまちなかの生活空間が過疎化が進んでいない都市では、形は時代が進むにつれいろいろと変わってはいますが本質は残っているのではないかと思いました。
宇都宮などの地方都市では、自分たちがこどものころ(20年前ごろ)は、商店街やアーケード街も人でたくさん賑わっていたようです。
自分の地元の小見川の商店街や佐原や銚子の商店街、街中のデパートも多くの人で賑わっていた記憶があります。(親の車ではなく、自分たちで自転車や電車でちょっとした買い物へ出かけた記憶があります。)
しかし、現在は幹線道路沿いの商店街は人がいなくなり、車が通過するだけとなりシャッター街となってしまっているのがさみしい限りです。
地方においては、都市部と違って鉄道+徒歩の方が完全に車へ移行してしまっているのが、昔ながらのヒューマンスケールの町場空間を維持することが困難になってしまっているひとつの要因にもあるかと思います。
都市部では、車社会への移行もありつつも、公共交通利用+徒歩の社会も維持できていることが、まちば空間の賑わいを時代に追従しながらの変化がありつつも維持されています。
まちばの賑わいと、その中にある数少ない緑空間が大切にされている。
地方都市の街中では、周辺に山なみなどの緑が見えるかもしれませんが、まちばの緑空間としては実は都市部よりも少なかったりします。
歩いて魅力的なまちとは。
地方都市、観光都市でも、他地区(都市部など)から鉄道により来訪される姿が見られます。
目的地は、主要な観光スポットだとしても、まちの魅力が「点→線→面」になるにつれ、より一層そのまちの魅力が増すことでしょう。
主要な観光スポットも、時代が進むにつれ魅力度も変化していきます。魅力的な空間が点でなく、面で構成されれば、時代の追従に従って魅力的な空間へ変化させるべきところはその時代ごとにつくりつつも、守るべきものは守り、次の時代の魅力スポットになるために温存していく。それらのまちを持続させていく要素、サイクルを考えて行かないと、ポイントでその時脚光を浴びた魅力が陰ってしまうと途端に魅力がない都市、地域になってしまう。
地方では、特に地域デザインというよりも、従来の土木建設的な思考が強い感じがします。
屋外空間、まちば空間、都市空間はハードなことだけでなく、人々がその地域で働き、交流し、生活ができるということが、魅力的なまちになる。ということだと思います。
ハードだけ、ソフトだけでも...双方が連携しないと。
それがトータルプランニングにかかわる「地域デザイン・環境デザイン」というこれからの時代を抱える新しい分野なのだと思います。
いままでいろんな事象を調査・観察・分析しまとめた学術的なことと、現実的な仕事における実務的なこととがうまく絡んでくれると、双方から、お互いのことを理解できない、使えないとけん制し合って事が進まない、ということを無くす、少なくすることができるのでは無いでしょうか。
同じ考えるエネルギーを使うのなら、建設的にものごとを進めた方が時間的、労力的にもエコなのでは。 と、思ってしまいます。