設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年7月2日月曜日

風車のある風景をみて考えながら...

エネルギー問題が問われている今、自然エネルギーの活用や自然エネルギーからの変換で電気をつくるという動きが活発化しつつありますね。
そんなことを頭の片隅におきながら、そういえばということで昔暮らしたことがある場所の空気がすいたくもなって、茨城の波崎(現:神栖市)へ行ってみました。
大人になっても何度か、訪れている場所(懐かしいと感じながら)でもあります。

波崎の海岸沿いの風車のある風景、奥の海は鹿島灘




風車と鹿島灘(方位的には北方向を見ています)

自分が以前住んでいた、茨城県の波崎町(現神栖市)や高校時代通っていた銚子市近辺は海風がとても強く、風のエネルギーを有効活用できる絶好の場所のひとつであると思います。
自転車で通学していたとき、北風が強くなかなか前に進まない、向かい風に立ち向かうような感じがありました。(それだけ風が強かったということ)


砂浜を見ていると海のかおりがしてきます。

自分が幼少~高校時代まではほぼ見られなかった感じがしますが、ここ何年かで、発電用風車が増えている感じです。
(曇り空だったのがちょっと残念!晴れていればもっとキレイに見えたことでしょう。)

波崎の風車群(晴れていればもっとキレイな風景です)


流木が砂浜に埋まっています。ちょっとした絵になっている?でしょうか。


海沿いに良く見られる囲い


砂鉄が取れそうな感じ、昔(小学校のころ)は磁石で砂鉄を取ったりする遊びをしました。


海沿いの植生って感じがします。


神栖市波崎(柳川 太田近辺の海岸沿い道路)松の砂防林

小学校の頃(1~2年生のころ)のかすかに覚えている校歌がよぎります。
「黒潮近き柳川に.... 松のは高き砂山に....」
海の風景を想う歌詞ですね。


高校のころも
「太平洋の黒潮と利根のながれをのぞむここ野尻が丘に...」
利根川の流れとその先に見える鹿島灘の海が歌われています。


通っていた高校の正面には下総台地の上(野尻が丘)にそびえる風車が見えたり、鹿島港から南東方向の神栖~波崎にかけては、海岸沿いや工業地帯の敷地に多数の発電用風車が見られるようになりました。


夕方西日が射す頃には、晴れていれば校舎窓にプロペラが映る。

科学技術の先端を走っていくことも大切なことではありますが、経済成長をしていくに従って、自然のエネルギーやその土地の風土のことを忘れてしまっていた感は拭えません。

科学技術が悪い、自然エネルギー活用は波があって効率が良くない というようにお互いけん制、いたちごっこしていては何も解決になりません。

昔は、自然のいろんな力、恵みを享受しながら生きてきたものです。自然との共存をしていましたよね。(社会構造的にも、お互いで支えあうという共存関係がありました。)
それから、経済成長を成し遂げるにしたがって科学技術もどんどん向上していきました。

(そのようなことを踏まえて今に続いていることなのですが、)
もう一度、自然と科学技術の関係性をきちんと整理しながら、日本が将来にわたって安全で、安心して暮らせるようになって欲しいものですね。
「人々が生活をする大地」を大きく破壊するようなものであれば、それはやめる、回避すべきこと。

現実を見ながらも、解決の糸を探っていけるように...。
次の世代が安心できるように。子を持つ親であればなおさらそう感じます。
今さえよければいいという問題ではないですものね。
「今さえ良ければ、後は知らない...」 そういう言葉を聞くと残念な気持ちになります。

決して、今(端的に、断片的に)みていいとされていても、
「後の世代、残された世代につけをまわすようなことは、結果的も大きな損出である」

社会的には次の世代が希望を持てるようにしていかなくてはいけないと思いますよ。(身近な環境を観察していても、そのように強く感じたりもしますしね。)