設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年10月20日土曜日

若者世代の活力を活かそう!

地域の活動のこと、普段の仕事のこと。

20世紀と比べると、それらの形は時代が進むにつれて変化を求められるようになってきております。

自分たちの親の世代(現役世代を引退した方々)であれば、強力な指導者のような人がいて、それについていくというような時代でもありました。高度経済成長期の時代に見られました。

今の時代においては、人が求めているものは変わり、ものの豊かさよりも、人としてのところに重点を置くようになってきております。




例えば、同じ組織(会社や地域の団体など)においては、世代によって?意識のポイントが異なっていることがいえるのではと感じております。

(例えば、これが全てではないことをお断りしておきますが...)
 その1:服従させることで、強制的にまとめようとする。体育会系?
 その2:理由が無いと、納得できないと、まとめることはできない。 理論・技術肌系?


時代というものは、その都度変化をもたらせており、姿・形については変化を求められてきます。
その中で、ポジティブに向上することを目指していくことは、自分を動かしていく為のエネルギーにもなるはずです。


小さな企業、組織であれば、自分の力を活かして何かをやってみようという気持ちが強い人が集まるはずです。そうでないと、正直続いていかないはずです。
自分においては、大企業の歯車よりも、自分の力を活かす という観点から 小規模な設計事務所、ランドスケープ系、まちづくり系の会社というものを選んだつもりです。

例えば、設計集団というものは、専門等を追及し、志をもった同士でやっていくべき姿です。

地域の活動などについては、自分たちの力や発想が活かすことが出来そうだということから、盛り上がっていくことであるとも思います。



それ(そういう場所、拠点など)が無ければどうなるでしょうか。

常に(様々な状況が)不安な状態では、そういう関係も崩壊し、続いてはいかない...。
人が少ないグループ、組織ほど、気をつけないといけないことかもしれません。
共感する人と一緒にいたいという気持ちは「人間のもっている性」でもあることでしょうから。


そして、今の時代は、夢をもってやろうとすることに対し、向かい風的なものが大きく、やる気を失ってしまっていることも大きい。 企業や組織がこれから先の夢や生活について保障をしてくれるものではない時代でもあります。


今の時代、誰かが強く言えば、その意見に(無条件に)ついていくという時代ではありません。
そういうのは、強力な指導者がいて、その下に何十人、何百人もの大人数がいる場合のこと。

それが、キーポイントであると思います。



今の世の中の状況として、上:下(主:従)の割合が1:1、もしくは高齢化社会、高齢地域のところでは、1:0.5というようなところもあります。
そうなってしまうと、頑張ろうとする青年や若者は外へ逃げていってしまいますね。 誰のために動いているのか、勉強をしているのかがわからなくなってしまいますもの。

(日本のこれからの社会の縮図のようなもの。将来に対して対策を講じていくことが必要だと感じています。)


強い意見だとしても、それがみんなの思っていることと違っていれば、誰もついていくことはしません。 特に、今の20代~30代の世代ではそうでしょう。
ボリュームの強い意見、弱い意見であれ、その中身について見ようとしているのが、今の伸び盛りの世代 です。

ボリューム・パフォーマンスが強いということよりも、中身が重要 だと言うこと。

残念ながら、口がうまい人が華やかに、もてはやされる傾向がありますが、本当はそれに中身があってこその華というものです。
中身があっても、口がうまくない人もいます。
そういう人を、圧力で封じ込めることは望ましくありません。口が上手くて自分が上位という意識があるのなら、建設的に考えたとすれば、そういう人をサポートするべき。それでこそ、その人に実力があるということです。
そういうのを引き出すのが上の人の役目でもあり、発展、問題解決の糸口にもなることがあることでしょう。


それは、仕事や地域活動など、普段の生活において、大いにいえることでもあります。


地域の活動や仕事等で動く、動かなくてはいけないときには、そういうことを加味しながら、組織を形成し、コントロールをしていくべきだと考えます。

どういうことかというと、実際に動く人をいかにポジティブに、同意を得ながら共感をしてもらえるかが鍵になるということ。
自分が年齢が上だから、立場が上だから、「何を言っても言うことを聞いてもらえる」という時代ではないと感じていることがあります。

尊敬できるような人というのは、相手の懐に入り込んで(相手に理解を得られて)共感をもてるような人 ということです。

そうでないと、人は離れていってしまいますね。

強力なリーダーシップとは、それぞれの人の思っていることを吸収し、互いの利益を平等に配分することができること。気遣いができるということ。
年齢の上下どうこうということではなく、自分勝手なリーダーは、実はリーダーではない のです。

国民性なのかもしれませんが、気遣いやもてなしの気持ちがあるかないかで、その人に共感する、しないが大きく左右されます。


新しい芽を活かすも、封じ込めるのも、上に立つ立場(コントロールする立場)の人の裁量次第。
それらが、左右どちらかに動くことによって、時代に追従した新しい動きが出来るか、そうでなく衰退してしまうのか、 そのコントロールにかかってきます。


そして、厳しい時代だからこそ、人というものは明るく生きて行きたいもの。
それが 「もの よりも 人と人とのつながり」 を求めていることでもあります。

何でもかんでも厳しいのでは、やる気も、生きていく気も失ってしまい、結果としてみんなの首を絞めることにもつながってしまいます。

そして、これから先の時代を背負っていく、青年・若者の活力を活かせるような仕組みもできないと、将来の日本までもがどんどん暗くなってしまう気がしてなりません。

そのままではいけない!


意見があるということは、その状況に問題があるから、違和感を感じることから生まれてくる産物。
それは、解決するように動いていけなくてはいけないことです。
そして厳しい時代を勝ち抜いていくには、潰しあい、グループ内の内紛、世代間論争をしている場合でもありませんね。

若い力というものに勢いと魅力、新鮮さがあるはずですから、そういうものを活かしていきたい。
今まで培ってきたものを、新しい世代に受け継いでいきたい。


自分の仕事としては、計画や設計を行うだけでなく、本当はやろうとしている動きに対してをサポートしていくことが一番必要なことでないかと思います。

自分がすべてをできるかというと、正直できません。

みんながやろうとしていることに対して、自分のできることや、パートを担っていくことはできるのではないか。
役割を分担し、協力しながらやっていこうというものです。

なんとなく学生時代から考えてきたことが、世の中の動きがだんだんとそうなりつつある?のではないかと感じています。

本当、これからですね。

現実を踏まえて我慢することをしながらも、理想を追求していくことは、前に進んでいくためには必要なことです。
少しでも、合意が形成された計画が実行されること、お上の計画のみで地域を動かすことが終わらないようにしていけることを願うばかりです。

(文章がまとまりきれませんね...スミマセン)