会議や話し合いの場、ワークショップ等のこと。
様々な人が参加する中で、一部の権力者ともいえるような方々が押さえ込みをすることがよく伺えます。
一見、スパスパと決まって順調なように思えますが、それは議論の発展を妨げる行為、思考がジリ貧になる行為でもあることがいえます。(残念ながらそれでは、会議、話し合いとはいえません。)
そして、「足の引っ張り合いに使うエネルギー」 と 「創造的なことを考えて前に進んでいこうとするエネルギー」 を比べた場合、どちらにエネルギーを使ったほうがよろしいでしょうか。
多くの人が、後者のほうがいいよなと思うはずですね。
しかしながら、世の中のすべてがそうであって欲しくとも、現実はそうでもなかったりする。
ある意味ストレスがかかります。
例えば、みんなで話し合ってきたものを、途中から割り込まれて話を壊してしまう、みんなが意図しない違った方向へミスリードしてしまうこと。
これは、あまり望ましいことではありません。
普段の仕事においても良くあることではありますが、そういう時は特に、「不愉快な気持ち」 になってしまいますね。
一人だけ幸せになっても、周りにいる多くの人が不幸せになってしまうことはもちろんよくありません。
地域をつくっていくことというのは、一部の方々だけの力でつくられるものではないのです。
そこに暮らす人がいて、みんなで支えあいながら地域がつくられています。
そういう意味からすれば、専門的知見がある方々については、それをサポートするのが立場上の役割ですね。
住民、行政、コンサル、学識経験者 それぞれの立場の方々が一方通行の押し付けではなく、それぞれの立場でできることを分担し、合意形成の上で進めていきたいもの。
一方通行がちで、結果考える時間を削ってしまうと、コトは進ます。
急ぎすぎて損をしてしまうこともあります。(その逆も無いとは断言できませんが...)
多くの人の考えが成熟していくためには、時間も労力も必要であると私は思います。
勢いの部分のポイントと、じっくり検討を重ねるところのポイント。
議論の中で、相手に考える時間を与えないというのは、ある意味ひとりよがりなものになってしまうというものです。一方的な押し付けは誰でもいやですよね。
それらのさじ加減をうまくやっていければいいのにと思う次第です。
いまや、まちづくり、合意形成、住民参加、コミュニティーデザインという分野を学んだ人が増えつつある世の中です。
そういうことからも、考える人の数は増えているのですから、それらの多くの知識を束ね、良いもの(暮らす人みんなが誇れる地域)をつくっていくべきなのではないでしょうか。