高齢者社会がどんどん進行していく世の中。
日本においては、働く世代が高齢者を支えることに対し、どんどん比重が重くなっていく一方であります。(何十年後には、働く世代:高齢世代が1:1になってしまうことも危惧されています。)
そして、それは実際の企業、会社組織においても身近に見えること、言えることでもあります。
土木、ランドスケープの業界においても同様のことが実はいえたりします。
昔は会社の上層部や上司(仕事をコントロール)する人1人に対し、5~10人以上の部下がついていた時代もありましたが、今や、上司:部下の比率は1:1というところも。
いや、上層部の比率の方が大きい会社もざらにある状況です。
今、若手は企業に勤めたくても、受け入れることができる会社が少ない。本当は若い力を受け入れたいはずなのですが、うまくいっていない。それは、業界の苦しい台所事情もあります。
それはある意味、(一部の業界の中ではすでに) 「将来の日本の姿のミニチュア版」 ともいえるようなことが起こっているのです。
実は、とある土木系専門雑誌に さらば「評論家上司」 という見出しの雑誌がありました。
今の日本の企業が抱えている実情が語られています。
どういうことか。
昔の仕事のスタイルでは、やっていけない ということです。
上の立場になったとしても、指示をするだけでは済まない ということ と 育てる体制を構築していかなければならない 一緒に考えながらとりくまなくてはいけない ということです。
実動部隊が少なくなっている状況で、作業のすべてを部下に任せているだけでは仕事がまわらない現実もあります。
昔は、ある意味沢山いる部下の中で、生き残った人がいればいいという(悪くいえば)使い捨てのようなことが見られました。
現在では、使い捨てのような対応をしてしまうと、仕事をこなす社員がいなくなってしまい、結果、自分の首までしまってしまうという現象がみられるのです。
例えば、失敗したら、だれかのせい(上司のせい、部下のせい)にする 。
そんなことは正直してられません。ただのガス抜きでもあり、問題を後回しにしているにすぎません。
上司と部下の関係は、10~20年前と比べると変化せざるをえない状況です。
変化していくことに、待ったなしの状況でもあります。
上司は、今までの経験や知識を、これから先の時代を担う青年、若者に託す義務があります。
そして、青年、若者にはその上司の経験を、今の時代で順応できるようアレンジ、工夫し、将来へつないでいけるようにやっていかなくてはいけません。
指示待ちでは、これから先の時代は生き残れません。
指示しっぱなしで、自分はやらないというものも組織が疲弊するばかりです。
会社や組織が少ない人数になったとしても、ひとりひとりができることをやっていかなくてはいけない時代に突入しているということです。
育てるということは、部下の出来る仕事を奪わないということが含まれます。
上司の立場としては、ある意味でんと構えること、ポイントで後世を後押しする、できることが、社員個人、組織を成長させることにつながるのだろうと思います。
お互いの協力関係、役割分担ということですね。
これから先の時代を考えるには、自分たち世代だけがいい思いをすればいいという問題ではすまなく、自分の子供の世代や孫の世代のことまで考えながら、生活をしていく糧のこと、仕事のこと、地域のことを考えていかなくては、最終的に自分の首がしまってしまうということです。
時代がどんどんと変化している状況。
立場など関係なしに、前向きにやっていける状況をつくりださなければいけませんね。
ある意味、企業という形も変化しつつあります。
ひとつの会社だけにとらわれず、自分のできることをやっていくという個々の仕事的なやりかたも多くなりつつあります。
企業に属さなくても、人々に喜んでいただけて、自分の生活の糧が築けるのであれば、会社という組織にとらわれることはないことでしょう。
組織内でひとつのプロジェクトを行うという考えから、企業間、個人間でのチームでプロジェクトごとに組み換え、協力していくという流れになっていくのだろうと思います。
時代を生き抜いていくには、いままでの形にとらわれない仕事のありかたが問われそうです。
(ポジティプに考えていけば)
それは、将来の日本の姿を考えていく際のひとつの手掛かりにもなりそうです。