設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年1月19日木曜日

きまりや基準の先にあるもの、みえるもの

公園の設計や、道路河川、建築などのあらゆる設計において、技術的な基準やきまりがあります。

基準やきまりについては、守っていれば一定水準を確保したものが出来ますが、果たしてそれを守っていくだけでいいものができるのであろうか。

きまりや基準はあくまでも様々な状況に対応する為の一般事項、基本的考え方について述べているもの、整理されているものと捉えることもできます。


基準やきまりの先にみえるものは? 



技術的な基準やきまりを守って設計を進めていても、その本質を知ることが出来なければ、何のためにそのきまりがあるのかを知らないまま設計を進めてしまうことに繋がってしまいがちで、問題が起きたときの解決策を構築することができにくくなります。設計を進める上での様々な物事を考える思考が育たない状況に陥ってしまうことも。

技術的な基準はこれだということがわかっていても、どうしてそうなっているのか、そうなったのかを知らない技術者は意外と多かったりします。
決まりの先にある本質を見抜くことができれば、そのことについての応用が利くようになります。そしてアイデアも浮かびやすくもなったりします。
ある意味、社会学的、学術研究的な要素、領域なのかもしれません。


バリアフリーの課題やユニバーサルデザインの思想についてもそうですよね。
目の不自由な方々を優先するのか、車椅子を利用する人を優先するのか、どのように両者の要望のバランスを整え、整備していくのか。
両者は自由が利かない方として、健康な方からはひとくくりにされがちですが、実は相反する整備を求めているのです。
(点字ブロックが、助け舟となる人もいれば、バリアーとなってしまう人もいる。)

これだけに限らず、それぞれの特性をしっていればおのずと「この場合はこうした方がベスト、ベターである」というような解決策が見えてくるはずです。そして臨機応変に対応することもできることでしょう。

どのような設計分野においても、細かい基準だけに目が行きがちになってしまうと、つじつまの合わなくなることやかえって使いにくいものを設計してしまうことにもなってしまいます。何を目的につくっていかなくてはいけないのかを見失ってしまうこともありますね。


ただ単に 基準どおりにつくる ということから その基準の先に みえるもの、隠れていることの本質を考えること、とても重要です。