設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年1月20日金曜日

人々のくらしの環境をつくりあげていく仕事をする上で... 心得ておくこと

(前 ブログ記載に関連して)


建築、道路河川などの土木構造物、公園やポケットパークなどの憩いの空間などでは、設計を行うにあたり 「基準、きまり」 が必ずついてきます。

基準やきまり については、共通した一定以上の品質のものをつくりあげていくことについては、必要なもの(重要なもの)であります。

ここで、課題となることは 「基準やきまり」を忠実に守ってできたもの(空間など)が形的にスケールアウトしていないか、形的にバランスが保てているのか、人々の役に立っているか、という事などがあげられます。


空間の設計にあたっては、照明(あかり)のことであれば、照明配置の照度分布を作成し(確認しながら)、空間ごとに一定基準以上の明るさを確保しなくてはいけないことなどや、バリアフリーデザインと称して、スロープの勾配の設定や点字ブロックの配置など考えるべきこと、検討するべきことはたくさんあります。弱者へのバリアフリーだけでなく、あらゆる人が利用しやすくするためのユニバーサルデザインという考え方も見につけていなくてはなりません。

構造物の設計においては、構造物が転倒しないかを確認することや、設備の設計では容量が足りるかを確認したり多岐に検討することがあります。

空間の設計やデザインに取組む際に、構造物の設計という観点のみに集中してしまうと、構造物の強度という視点のみにとらわれがちとなってしまうのが多々見受けられます。


局所的に見るべきものと、広い視野でみなくてはいけないものがあることを理解しなくてはなりません。
(そして、大をみて小をみる。小をみて大をみるといった、双方の考え方、着目の仕方が必要となります。)


空間の整備においては、基準やきまりを守ることは必要なことではありますが、その先に見え隠れするものを見ることが出来るかどうかで、行おうとしている整備の本質が見極めることが出来るものであります。
実際に、きまりを忠実に守ることだけを考えて設計したものにおいては、構造物の強度、安全という面ではいいものが出来ていたとしても、その先にある使い勝手や美しさの面からは見劣りをしてしまうこともしばしばあります。

そして構造物をつくるための設計でなく、造ってから何に活用するのかをみることが重要です。
設計の業務的には目標を見失わない為にも、設計技術者としてはプランニングをするというモチベーションを保つ為にも...。
(繰り返しますが、先にあるものを、本質を見極めることが重要なのです。)


トータルバランスのとれた整備を考える。




空間整備においては、基準やきまりだけ知っていても、形に(形を)表現すること、おさまりを絶妙なバランスで整えることができなければ、アンバランスな空間にもなってしまいます。
知っているだけでは弱い、知識を披露するだけでもダメ、その知識を自らの手で実践し(実践できて)、次の展開へ結びつけることできて
はじめてプランニングの仕事をしたということであります。

空間の設計では、基準やきまりの先にあるものを見据えながら、構築していくことをお勧めします。
(どうしてこのようなきまりとなっているのか。 実情はこうなんだけど、基準はどううたっているのかを確認したい。 こういう空間をつくりあげたいから、この基準をクリアーしなければならない。などという考え方 へのシフト)


そして設計の会社においては、ただ、「これやれ~、あれやれ~」だけで、指導する側も、受ける側も考えさせることをしなければいつになっても そこの会社の技術者集団の底上げ というものは難しいです。
残念ながら地方の会社ではその傾向が高い。身近な環境を見ていても強く思うことがしばしばある。


プランニングの仕事は、単純にこなすだけではなく 考えながらつくりあげる のが本来の姿です。