設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年1月29日日曜日

問題意識をもつこと、創造力をもつこと

日本では、高度経済成長から現在において 「モノを沢山持つことに対する執着」 というものが強く出る傾向が出ており、そのモノの質や使い勝手が無視され、モノをたくさんつくることに趣が向けられていたように思うこのごろであります。
そしてモノの質、空間や建物についてはその建造物等の形や質に対して、文化的な視点が忘れ去られてしまっている感が拭えません。


過去の形跡、歴史をたどると、日本においては、ものづくりの技術、手先の器用さ、繊細さがありました。
最近の動向をみていると、それらが失われつつあるように思えます。技術の伝承もいたることろで断念せざるを得ない状況であり、無念さも残ります。
「時代に追従していくこと」 と 「こだわりを保ち続けること」 のコントロール、さじ加減がうまく機能していない感じがしていまして...。

大量生産、大量消費の時代から変革を求められている今、モノの数、量よりも、そのモノの本質を見ることへの着眼点の転換が必要なのではないでしょうか。
過度な浪費からの脱却が図ることができるか・・・。


品質の劣るもの、洗練しきれていないものを繰り返し使い捨てする大量消費 と デザイン的に優れたもの、考えが洗練されたものを長く使うこと では、後者の方が理にかなっているように思えます。
経済の考えで言えば、お金を循環させる意味あいからも消費すること、回転をよくすることはなくてはならないことですが、ここのところの循環回路の軌道が少しぶれてしまっているのでしょうか?
お金だけでしか事(コト)を見ずに、そこに相関的に関係してくるそのモノの本質への視点を忘れてしまっているような感じもします。
そして、無駄に中途半端なものを大量生産、大量消費できることが、モノを大切にする心を失ってしまっている、麻痺させてしまっているようにも思います。

エネルギーの問題もそうですよね。
余剰に生産し、無駄に捨てながら使うエネルギーと 自然の力を利用しながらも、極力無駄にすることの無い新エネルギーとを比較しているのと似ているような気もします。


【技術者としてはどう振舞うべき、やっていくべきか】

特に空間などを設計する立場の技術者はある意味、創造的なクリエーターとしての立場を兼ね備えていく必要があります。
ただ単に考えもしないでこなすのではなく、本来は本質を見据えながら求められるものを創っていく考えにシフトしていかなくてはいけませんね。

特にこれから先、建設系の業務にかかわっていく立場の方は、「技術面、創造面」への造詣、そして円滑に物事を動かすことが出来る「コーディネート力」が必要と考えます。

仕事の質という問題にも着眼しなければ(こなすだけに追われてしまうと)、(空間を設計する)仕事に対してある意味失礼なことになってしまいます。
「こなすこと」 と 「考えていくこと」 のバランスコントロールを見極めていくことが課題です。
ある意味、なんとなくで仕事をしてしまうようでは、真剣に設計やデザインのことについて希望をもって学んでいる学生(将来の技術者)に対しても失礼極まりないということにつながり残念でなりません。

建設系といわれる業界や会社としては、これから先のこと考えている若者への受け皿を真剣につくっていかないと、将来はもっとジリ貧になってしまうことが目に見えています。自分たちの世代だけがいい思いをするのではなく、どのような世界でも共通の課題だと思いますが、後に続くための持続可能な仕組みづくりが必要です。


そして、つまらない技術者にならないためにも、様々なことに対し問題意識を持つことがとても大切! なのです。