設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年2月11日土曜日

基準どおりにはつくることはできるけど...。何か足りない。

最近、仕事をしていて何か物足りない、と思うことがしばしば。


自分が社会人になった頃~5年前くらいまでは、仕事上においても役所の方も技術的なことに長けていたり、空間のデザインをしていく上で

 「自分だったらこうする。 このような空間を実現されることが出来たら、もっと活性化するよね。」

という話が 技術者同士 や 対発注者とも 話ができた感じがします。



今では、どうか。



基準やきまりを守って設計などをつくりあげることが出来ても、その中身に何か違和感を感じることがあるのです。


それは何であるのか?

はじめに述べたように、空間を創造していく世界での議論が どこか ぽつーん と抜けてしまっているような感じがします。


基準の先にあるもの や 現実的なことへのアレンジ(機転を利かせること) がなにか失ってしまってるような気がします。基準は知っていても、どうしてそうなのか、その先にあるものが何であるのかを見ようとしない傾向があるのでしょうか。



やはり、ただ単に仕事や設計をこなすのではなく、空間の設計はワクワク感を忘れずに取組んで欲しいと思います。そして、問題点があるのなら少しでも解決の方向へベクトルを向けていって欲しいなとも思ったり。

最近の世の中、厳しいことばかりで何か置き去りにされているものがあるような気がしてならない。


空間をデザインする、設計を行う技術者については、発注側、受注側にかかわらず創造性を持って意欲的に取組んで欲しいなと思います。そうでないと、どんどんいろんな意味で遅れていってしまいます。


相手に任せっきりでなく、一緒につくりあげていこうという姿勢も大切。
残念ながら、何でも、他人のせいにする、される傾向が最近強い。 それではいつになっても成長、成熟しきれなません。(いち人間としても、いち技術者としても...)

その中でも、めげずに意欲的にやっている方もいます。ある意味パワーが違いますね。そういう人には、多くの人がついていくものなのです (^_^); 。