設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年2月26日日曜日

自らの(を)デザイン

デザインという言葉。

「デザイン」という言葉を聞くと、それぞれいろんな感じ方を持つことかと思います。


ランドスケープデザインで言えば、
大きいものから小さいものまでトータルにみること、みれること
も このデザイン分野の要素であると思います。

それらを実践していくには、技術者自らのデザインを(も)確立させていく必要があります。
繊細なデザインをしていくには、骨太な芯のあるデザインをしていくには、自分の仕草のデザインをキレイにしないと(心で思っていることが必ずといっていいほど態度に現れてしまうので)本当の意味での、純粋な、きれいなデザインができないように思えます。

「自らのデザインがうまくできないと、きっと良いプラン、デザインは生まれてこない。」のである。




繊細に見えて、中身は骨太。
背反するようですが、デザインをすることに対して芯を貫くことでは重要なこと。
繊細なところについては、もちろん身振り手振りの几帳面さ、繊細さを兼ね備え、別な方向で言い換えればいろんな知識の引き出し、経験の引き出しがたくさんあり、適宜きれいな形で提供をできることであると思います。

社会的に信用されるようになるには、技術力はもちろんのこと、人としての自らのデザインをしていく必要があります。一企業内だけでとどまっていては視野も狭くなるので、広くいろんなことを見ようとする努力も欠いてはいけないことでもあり。


自分にとってもこれらのことを念頭におき、揺るぎないデザインについて考えていきたいと思います。