設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年3月6日火曜日

都市や地域における魅力の創造

最近は、お金のことで○○が出来ない、このレベルのものしか出来ない ということばをよく耳にします。そして、これらを理由に新しいことへ挑戦する、創造力を膨らませることをしない、できない技術者や大人が数多く増えてきてしまっているような気がして残念な気持ちになることがあります。


公園づくりでも、本当は魅力ある、子供たちに記憶に残るような空間を提供していくことがひとつの目的でもあります。ものだけでなく、遊んだコト自体もいい思い出づくりに(も)寄与しますね。

中心市街地を何とか賑わいを取り戻したいと思う大人がいることは、その大人が子供のころ、その場所にいい思い出、家族との触れ合いのドラマがあったからそう思うこともあり。

モノに対する思い出のほかに、コトに対する思い出も、その都市や空間に対するよきイメージ(好感を持てること)となるのです。


都市の風景、農村の風景、地域の風景、そしてそれぞれの歴史、文化、生活の営み。

それぞれが特徴を持っていることにおいては、日本の風景、生活景はいいなと思うことであります。




地域をつくっていくことは、単純にものをつくって、壊しての繰り返しだけで成り立っているわけではないのは、建築やまちづくり、ランドスケープ、都市計画を学んだ学生、社会人であれば自然とわかっていること、理解できていることであります。


ヨーロッパなどの古い町並みは何百年もの月日を経ってより価値ある空間、観光地と成し遂げている。
そして、東京駅でも、往時の建物の様子への復元を図っており、文化を大切にするこころが根付き始めていますね。
屋根の素材も石巻産のものを一部使っているなど、材料においてもとても奥深いですね。

東京駅 往時の姿が見えてきましたね。(2012 3/3)

一転近代的な都市である東京でも、ところどころに歴史を感じるもの(土木構造物や建物)があります。新しいものと過去から生きつづけるものの共存がなされていると感じます。


御茶ノ水~神田間の赤レンガの高架橋(アーチ部分下はお店で活用) 年末(12月)に訪れた箇所でもあり。

高架橋の骨組みもアート的要素(美しさ)を感じます。

いままで保存や活用されてきた歴史的にも趣のある建物などは、これからの時代も大切なもの、価値でもあります。

橋のデザインも凝っていますよね。趣を感じるもののひとつです。

これだけ、連続して赤レンガ高架橋が見えると壮観。水面にも映りこんでいます。(水面のミラー効果)

まもなく1年経とうとしている東日本大震災においては、東北や東関東の多くの価値ある建物、空間、風景、そして生活の場、心のよりどころの多くが失われてしまいました。
失われたものについてまったく同じものを取り戻すことは、残念ながら難しくどうにもならなく、無力さを感じます。

自然の猛威で失われてしまうのは、人間の力のみで抵抗することは極めて難しいですが、 趣のあるものを人間の手で故意に壊してまで(強制的に失うということ)改変することは、なるべくならしたくありません。 どの土地においても文脈(なりたち)は、形だけではない、「いろんな人の想い」も詰まっているものですからね。


これからの時代、人口減少時代でもあり、整備する予算も無限ではありません。
むしろ、お金をかけることはできなくなります。


文化の継承、歴史を現代に伝えていくこと。
文献購読や教室(授業)を通じて、机上だけで学ぶもの、学びとることだけではなく、
往時の建物や空間に浸ることで、より過去の大切な歴史を感じ、理解できて、はじめて自分の知識、今に生きる知識として使うことができるようになる というものであると理解いたします。

自分は実際に、教科書だけで学ぼうとしたことは正直ピンとも来ないし、頭の中にも入らないことが多いです。
実際にその場に身をおいて体感して考えることや、現代に生きる往時からの建物や空間に浸ることで、はじめてその歴史の良さを感じることが多いです。それではじめて、「そのもの」や「その空間」を大切にしていこうと思うのです。

そのことが、現代の生活の中に歴史が生きている、活きているということなのではと考えたりしています。
(実際に肌で感じとったものは、忘れませんしね。五感をフルに使い覚えるといった感じでしょうか。フィールドワークとても大切です。)