設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2012年3月12日月曜日

限りある資源を大切に!

今まで、当たり前のように使ってきた「水・熱・電気」などのエネルギー資源。

原油、ガソリンも値上がり、電気も様々な影響もあり値上がりが懸念され、人々の生活に苦労を強いるような形が目にみえております。

1年前の震災に見舞われた際、
電気が使えない状況で、いかに我々現代人が電気に頼った生活を送っていたのかが身にしみてわかりました。
住んでいるアパートでは、水道は貯留タンクに溜められた水が、電気を使用してポンプを稼働させるため、部屋の蛇口からはもちろん水も出ず、携帯電話などの情報端末の充電もできない状況。トイレの水をどうしようかと困ることも、もちろんインターネットも使えない。
(宇都宮では、地震発生後1日たらずで復旧はしたものの...)





暦上は春だといっても、まだ冬の寒さも残る状況で、暖房もつけられずに寒い思いをしたのを覚えております。

暖房により発生した熱を蓄積する方法、省エネをしつつも今までと同じように利便性を保てるような工夫、無駄にお金をかけずに生活をする、していく方法などいろんなことが頭をよぎりました。
エネルギーのありがたさを身にしみて感じるわけです。



しかしながら、大震災から1年経ちましたが、いろんなところを観察しているとエネルギーを無駄に使う傾向が抜け切れていないよなと思うことが多々あります。

エネルギーを使うのであれば、機能は保持しつつも効率よく、必要なところで使いたいもの。

普段の生活において、水を出しっぱなしにしたり、電気をつけっぱなしにしたり、暖房をつけっぱなしにしたり...。
様々な事情で使いたくても使えない人もいるというのに。
エネルギー使うことは生活をする上で必要なことなのですが、使い方を少しは考えたらどうなの と思うことがあります。
限りあるエネルギーをスマートに(賢く)、きれいに使うこと、ある意味美的センス、美意識センスが問われるというものかもしれませんね。


必要なエネルギーを、必要なところで活用されるということは、量が多い、少ないに限らず、有効的に使われるということです。
今の時代、コストの安い、高いという指標の他に、エネルギーの量を考えながら使うということをどこか忘れてしまっているような気がします。

科学技術の進展の積み重ねによる恩恵もありますが、何よりも自然からの恩恵によりエネルギーを受けている、使わせていただいているということがどこか「ポーン」と抜けてしまっている。
贅沢に慣れてしまって、限りあるエネルギーを湯水のように垂れ流しで使ってしまう感覚がどこか抜け切れていない場面も見られます。

これから先の、子の世代、孫の世代に何を残すことができるかを考えていかないと、今生きている大人は後の世代に対しての責任を放棄してしまっているような感じもします。
今だけ良ければいいものでもない。
子を持つ親としても、自分たちの子供たちが苦労してしまう状況を押し付けるわけにはいかないでしょうと思うことが多々あります。

ですから感覚がマヒしないよう、限りある資源エネルギーのことをどこか頭の片隅にでもしまっておいて欲しいなと願っております。