設計・計画に携わってる者から見て、公園や都市、地域空間についてや 北関東でのランドスケープデザイン・造園外構設計の現状、身のまわりの出来事から思ったこと、日常の話題など気持ちまで含めてざっくばらんにレポート、つぶやいていきます。
(都市部より未熟な点もあれば、その逆もある。)


【東北芸工大 環境D 3期生のいま】

同期の仲間たちはそれぞれ、建築や都市計画の分野で活躍していますが、地方ですとこんな感じです。中央でしかできないこと、地方でしかできないこと、いろいろあります。

自分の周りの出来ごとを中心に、肌で感じたものごと 笑いや感動したこと 思ったこと あるときは苦悩の日々を。 ちぐはぐな文章は愛嬌ということでm(_ _)m

仕事をしていく上で、プランニングの仕事においては気持ちの部分も内容に大きく影響します。創造性のある仕事を「純粋にやっていくため」には大切な要素であると思いますので。

2011年11月6日日曜日

夜の魅力 ~世界遺産のまち 日光~ そして秋のイベントへ

栃木県の観光都市として、真っ先に思い浮かぶ都市のひとつとして「日光」があります。

紅葉の時期に合わせて、この3日~5日まで期間限定において、世界遺産「二社一寺」のライトアップが行われました。
そして、期間限定のライトアップと、紅葉のシーズンとも重なって、多くの観光客が訪れていました。


まちづくりの一環として考えた場合、活気のある夜の空間 というものも街の魅力のひとつになります。

温泉街などでは、夜の風情というものも非常に重要視されています。
日中の観光と夜の宿泊において、「観光客にとって思い出になる空間」を創ることが出来るか、そうでないかで 「その街が人気の在るまちになりうるか、そうでなくなるか」 になってくることだと思います。


【ここで、めったに見ることのできない 「夜の世界遺産 二社一寺」 を写真でご紹介いたします。】

まずはじめに、大谷川に架かる橋が神橋です。

まず、最初に見えるのが「神橋」(しんきょう)です。

神橋を渡ると、世界遺産の入口の参道が見えてきます。

二社一寺の入口にモニュメントがあります。

参道を上がると、まもなく日光山輪王寺がお目見えいたします。

日光山輪王寺境内にある、「逍遥園」(しょうようえん) 池にも、もみじが映る。(ミラー効果)
モミジの色がとても映えています

輪王寺のライトアップ。(三仏堂は現在修復中です)

そして、山内地区の表参道を上がっていくと、日光東照宮があります。

日光東照宮の五重塔

東照宮の表門

日光東照宮から北西側へ行くと、輪王寺大猷院と二荒山神社があります。

輪王寺大猷院 (たいゆういん)

二荒山神社の鳥居、参道

二荒山神社

夜の世界遺産(ライトアップ)は、期間限定で通常は見られませんが、大変貴重な光景でありました。

日中と夜における、非日常の空間。

普段味わえない空間に浸ることができる場面は、観光要素の一つとしてとても重要であると考えます。

どの街でもそうだと思いますが、歴史的要素というものは観光の一つとなりえますが、その歴史的資源を活用し光をあてる事(注目できること)が、その街が活気づけるために必要なことでもあります。
(歴史を残す、再現するだけでなく、観光要素として活用すること(仕組み)を考えられるかどうかというところでしょうか。)

【年代別による、 「歴史空間」 に対する考え方の違い】
1. 若者や小さいお子様のいる家族は
→ 歴史を感じることもいいけど、その中で楽しむことまでを求めている。

2. 年をとった大人は
→ 知識、教養が積み重なっている(年の功ともいいましょうか)ので歴史そのものを楽しむ。

ここでのギャップは、同じ歴史という観点でみても、年代によって考え方に相違があることです。
(自分の仕事に置き換えた時に、同じ仕事をしていても、年代によってつぼや重要視するところが異なること と似ているのかも...。(汗) )

ある意味、これからの歴史を活かしたまちづくりのヒント ともなるような気がします。


【現在、日光は様々な秋のイベントを展開中です。】

11/12~13は、JR、東武日光駅界隈~世界遺産地区周辺のエリア(日光の門前町)をめぐるまちあるきイベント 「秋の日光マルシェ」 (4回目の日光マルシェ)も開催されます。
いろんなスポットを巡り、食べたり、人々とふれあったりなど様々なスポットごとの催しがあるので楽しみです。巡った先でスタンプを集めるのも面白いですね。子供たちにも人気です。

また、11/18~21にかけては、 「2011日光そばまつり」 も開催されます。

秋の日光は、様々なイベントで盛り上がっています。
東京からも、電車(JR、東武鉄道)でアクセスしやすいところです。

多くの方々に、とちぎの秋を楽しんでいただければ、栃木県も元気になると思います。


是非、東京からも身近な 観光都市 「日光」へ!!

2011年10月23日日曜日

まちなか散策「山形駅前~七日町付近」

とある用事もあって、山形へ来山。

せっかくなので、少しだけ山形のまちを歩くことにしました。

今回は写真集のような感じにて。以下解説。

歩いて移動する人のためのサイン
交差点の辻の広場(小休憩にも使えます)

歩行者を優先とした道路のデザイン(道を蛇行させている)
通りに面したところにオアシス的な広場があります。
通りのことやまちの歴史が学べます。

あたらしく出来た和風漂うスポットのひとつです。

ひとつひとつのディテールにも工夫があります。

歩道より中の空間への引き込み(石による演出)

歩道空間と店前空間の融合(広く感じる)

せせらぎ水路とたいこ橋

ベンチひとつとっても、和風調のデザインの工夫が
沿道の居酒屋も場の景観に配慮しています。

自転車専用道路(いろんな都市で街中を走る自転車が最近増えつつありますね)
ちょっと歩くだけでも、いろんな発見や興味を引くものが詰まっています。
建築や都市を学ぶ学生さんが、写真を撮っている姿もみられました。

街中の魅力的な空間。気になるもの。

いろんな視点で、まちにあるものを観察してみましょう。

2011年10月16日日曜日

自分の住んでいる身近な「まち」を観察してみよう

誰もが、いろんな形で都市や集落などに住んでいます。
そこに住むということは、何かしらの要素がある...。


人々の生活活動においては、あるクラスター(ある一定のまとまったかたまり「地域」ともいいましょうか)での「経済(生産、商売活動)、交流・文化活動」などの要素があります。

そして、都市の環境面(目で見えるもの)では、道路などの交通、土木構造物、建物などの建築物、花や樹木、林、森などの自然物など様々なものから構成されています。

それぞれのまちや集落では、その土地の風土・環境に応じた生活文化が形成され、今に至っていることでしょう。


まちをみることは、いろんな視点、切り口で見ることが可能です。

・生活の場としての視点
・経済活動の場としての視点
・歴史、文化としての視点
・四季折々の自然的風景としての視点
・地域の沿道風景、文化的風景としての視点
・人と人との交流の場としての視点
・交通の利便性としての視点
・観光都市としての視点

などなど。

一見何も変哲のない小さな駅でも、観光的な要素と重なることで人々が訪れる駅ともなる。
かたち的に見えるものから、かたちでは見えないものまで...。

巨大なイチョウの木 ひとつにしても地域の風景をつくることに寄与しています。造園的手法でみれば「ランドマーク」ともいいます。

魅力的なまちとは、多くの人のこころを満たす、そこにしかない場所(ところ)なのではないでしょうか。まちあるき(散策)をしていていろんな発見のあるまちが、魅力的なまちへと現在進行形で成長しています。

「まちあるき」とは、(これに限定することではありませんが、)
いろんな地域のまちを実際にみて歩き、自分の身体で感性的にも何かを感じ取ること。

大人になるにつれ、年齢を重ねるにつれいろんなものごとが見えてくる。昔疑問のあったことなどが、相関関係としてつながってくる。
まちに埋もれている様々なものごとが興味深いものであり、観光客にとっても癒し以外の新たな発見もある。

自分たちにとってなにげないあたりまえの生活風景が、他地域の方々、観光客には新鮮にみえることもあります。




学問としてまちについて取り組むこと、地域活性化のひとつとして取り組むこと いろいろあるかと思います。
あらゆる目的からまちを歩き、その中に埋もれているもの発見することは、ひとつの「まちあるき文化」ともいえるかもしれませんね。

2011年10月2日日曜日

地域の特色を発掘すること と 求められる技術者像

まちを形成していく上で、必要なものごとについて

その土地に人々が暮らすことや、経済活動や文化創出など様々な要素がまちの中にはあります。

人々の生活スタイルの変化については、近代(明治以降)では、舟運による物流からはじまり、鉄道の開通、自動車の普及、自動車交通網の整備、新幹線の開通、インターネットの普及などにより、時代を大きく動かした事象によって、都度まちの姿はいろいろな変化をし続けています。

地域を形成するということは、土地の立地条件や自然条件、土地に培ってきた伝統や文化なども絡んでおり、数字で示すことが可能な工学的、経済学的の他にもものや形を表現する「自然や文化的要素」というものが、地域を特色づけるのに重要な要素のひとつとなりえます。

経済学や情報工学などの思考の発展の裏に、ここ最近で忘れがちなのが地域の風土を活かすということであります。人の目で見て自らの体で感じるとることなどの、ヒューマンスケール的な思考、ランドスケープ的思考がどうしても忘れがち、おろそかにされてしまっている状況です。
人間的心の豊かさを表すもの、心身の形成につながる目で見えるもの がどこかに置き去りにされてしまっている。

戦後の高度経済成長から現在の経済低迷といった世の中の流れにおいても、人の生活の中においても、経済という考えは非常に重要な要素の一つでもあります。そして、工学的、経済学的の分野で数字や分析をし、ポイントを絞って図表で効果を表現していくことは人々に訴えかけるのに非常にわかりやすい。

ここで重要なことは数値学的な考えに加え、地域の特色について如何に考慮、配慮することができるかで、その土地が埋没してしまう、発展していくかが決まってくることだろうと思います。

地域を考えた場合、そこに
「プラスαの要素を考えることができるか、付加価値を生み出すことができるか。」
でどこにでもある地域になってしまうか、そこにしかないゆるぎない特徴を持った地域になることができるかが決まってくる。

地域の風土や文化という観点に配慮した経済活動と、そうでない経済活動とではその土地の魅力、ポテンシャルとしては雲泥の差が生まれてきます。
地域の空間とは、その土地にしかない(世界でひとつしかない)空間でありそれが大きな特色のひとつなのです。

現代社会において、どうしても忙しさに追い立てられ自分を見失ってしまうこと、多々あることでしょう。心の病に陥ってしまう人も多くなっている世の中です。

人はだれでも情緒や気持ちを持ち、多彩な感情を表現します。
地域の風景や文化に触れることで感動を受け、人間として生活していく上でも情緒の安定を図ることができる要素が少なくともまちの生活の中に眠っているのではないでしょうか。



【空間デザインに携わる技術者としての役割】
いろんな意味で、さまざまな要素を取り入れながら地域を形成していくこと、空間を創っていくことが環境デザインでもあり、単なる構造物をつくるだけの数値的工学とは異なることであります。
数値的工学をおろそかにしていいかというとそうではないことはもちろん理解しておかなくてはいけません。
(世界の先端を行く土木技術を継承する人も現在少なくなっている状況で技術立国の立場も危うい状況でもあり。)
いままで培ってきた技術というものを、現代の環境を形成するという分野に応用していくこと、発展させていくことが必要であり、それが求められる技術者像でもあります。

地域を活力づけていくためには、地域の文化や風土、人々のつながりや交流も大切にしつつ、最先端の経済についても学んでいくことが、問題を抱えている地域においては、解決の鍵となることなのでしょう。

全国の道の駅においても、駐車場の機能を優先し、ロケーションを考えないでつくってしまったところと、機能との両立を図ったうえで、人々の感性までを考慮したトータルプランニングを施したところでは、人々が訪れる度合い、空間にいることでの喜びを感じられる度合いがだいぶ異なってきます。

わび、さびの感じられる場所、四季の変化を感じられる場所などは、人々の心をいつも釘づけにし多くの人で賑わうなどの状況が見られますよね。


自分においては、経済については専門家ではないのでわからない部分が多いですが、人間として、環境をデザインする技術者、ランドスケープ分野を関わっている技術者として、人々の生活の舞台(生活空間)について、喜びや安らぎを与えることを目標にしていきたいと思います。

数値学的、工学的なことの他に、感性や人々の気持ちまで考えられる分野がトータルプランニングであり、環境デザインという分野なのであります。



まちや空間をデザインしていくこと、形づくっていくことは、いろんな要素を積み重ねながら時間のかかる大変なことであります。いろんな困難に立ち向かい、様々な難題に取り組んでいる技術者に対しては個人的にも敬意を示したいと思います。

いろんな問題点や課題点はすぐには改善できません。いろいろ試行錯誤し、時には試しながら解決方法を探っていくことが、どのような分野にも必要なことです。

創意工夫をするということ。これからの時代においても遂行していくべきことのひとつであることは間違いないでしょう。

2011年9月23日金曜日

地域の風景をみながら考えること。

皆さんが生活している場所では、それぞれの特色のある風景が展開されていることかと思います。

それは、都市部、農村部、地方部、都市郊外部さまざまです。

海のある風景もあれば、山に囲まれた風景もあり、川が流れる風景もあり。

公園ひとつにしても、ディテールを考えた空間づくりをしているところには、自然と風景の一部として見入ってしまうことがあります。

栃木県芳賀町「あおぞら公園」のソーラー照明と夕暮れの風景。意外となじんでいる。


自分の地元の周りでは、下総台地と手前に広がる田園風景や、利根川をはじめとする川の風景、鹿島灘や銚子沖の海の風景、鹿島の工場の風景、小河川に展開するまちなみ風景など様々な風景やまちが展開されています。

香取市(旧佐原市)の小野川沿いの建物景

同上、川の生活景、川を活用した観光の景


【ここ何年間かで変わった地域の風景】(銚子、波崎界隈では)

昔は、なんの変哲のない田舎の風景でありましたが、風車が何基も設置され立体感が出てきたために、ちょっとした写真撮影スポットにもなりつつあります。

銚子市野尻の畑と風車のある風景

神栖市(旧波崎町)の海岸沿いの風車の並ぶ風景

地方に住む者にとって、若いころはいろんな刺激を求めて東京方面へ視点がいっていたことは誰しもが経験済みのことでしょう。しかし、大人になるとどうか?

逆に落ち着きを求めたりもすることがあります。
また、いろんな視点で都市と田舎を見比べることもできるようになります。

いろんなもの、いろんな地域を見て、見比べてはじめてわかる地元の「良さ や 悪さ」 という感じでしょうか。


それぞれの方が今生きている舞台には、人の目の中に入るものとして必ず風景というものがあります。
ただ単に仕事をし、生活に追われているということがほとんどなのでありますが、その中においてでも、少しでも物事をみること、考えることが出来る余白、ふみしろを拡大しながら自分の生活している環境について考えることは、決してつまらないということはありません。
観光などで、いろんな国や地域に出向くとき、わくわくしますよね。(^ ^)


地域をデザインすることは「風景や物質そのもの」の他に、「そこで生活をしている人のドラマや人々の交流のこと」までをひっくるめて取り組むことであり、それがいろんな要素の詰まった一地域をつくっていくことにつながります。

使われるものをつくる。喜ばれるものをつくる。
何か(何でもいいので)、明るい希望をもって取組むことは、ワクワク感を持続することにもつながり仕事や活動に対するミネラル、エネルギー(活力)になります。

自分もまだまだ完全なプラス思考とは言えませんが、プラス思考で頭の中が動くよう、また自然体で行けるように頑張りたいと考えます。


自分にとって地域の風景をつくることとは、
「人々の安らぎを与えること、憩いの場を創出すること、 何かの地域の活力の源になる空間をつくること」

これらのことを頭の片隅におきながら、日々、都市や地域を形成する空間創造の世界に自然体で取り組んでいきたいと思う次第です。

2011年9月16日金曜日

公園の設計 規格ものをつくればいいのか、それとも...

街区公園や近隣公園の設計の仕事。

街区公園は、広さ的に2500㎡(0.25ha)を標準とし、昔は児童公園と言われた部類で、ブランコ、滑り台、鉄棒、砂場などの子供たちが遊ぶ標準的なツールがありました。

近隣公園は、広さ的には20000㎡(2.0ha)を標準とする公園で、近年は防災機能を兼ね備えた公園としても整備されつつあります。


そこで、公園を設計するにあたり標準的な機能だけを盛り込めばいいのか? というのが課題となります。

公園を設計する上で、最低限守らなくてはいけないきまり(緑の面積の割合や運動施設の割合など)はあるのですが、どうもみんなが望んでいるような公園広場にするにはギャップがある。というように思います。

公園というものは、みんなが使ってくれてはじめて、整備した効果が現れるもの。
確かに、遊具や休憩施設などの公園施設は必要なのだけど、もっと自由な発想で必要なものをつくることが本来の姿であるように思います。

業務の上では、決まりに沿ってやるべきことは最低限のルールなのですが、面白みには欠けてしまいます。公共の事業なので、あまり斬新なものも出来ない。ある意味、設計者として抱えているジレンマです。


民間の開発、民間の外構整備では、その場所にふさわしい公園空間が創出されていますね。
公共だと、区画整理事業等において画一的に決められた中での公園整備なので、求められているものと、出来るもののギャップが大きいです。

なんとか、ならないものでしょうか。

縦割りの考え方、ある囲まれた考え方、パターン化されたルールの中で設計をすることは、ある意味効率はいいのかもしれませんが、物足りなさが残ります。
もう少し、まち全体の計画を見据えた公園などの公共空間づくりができれば、求められているもののギャップが少しでも解消できるのだろうと思います。
そして公園単体でなく、公園の空間がまちの中の一空間であることを認識しつつ、法的に決められた要素の他に、地域として求められているものを形づくることができれば◎に近づくのだろうと思います。


「こうしたい」という発想を先に考え、可能な限り法をクリアーさせていくという逆の考えの方が面白い、必要な公園空間ができるのではないでしょうか。

公園の設計をはじめとする空間デザイン分野の思考については、いろんなアイデア、発想を大切にしていくことがとても重要であると考えます。

2011年9月6日火曜日

既存資源を活かした 道の景観づくり

都市を形成する上で、道路の事業はなくてはならないものになっています。

交通システムの計画や交通需要などから、道の広さなどの規格が決まってきます。
しかし、そのような裏づけのみで道が形成されてしまうことが多く、道の計画地に差し掛かった歴史ある建物や樹木がバッサバッサ破壊される、伐採されてしまうことが当たり前のようにされているところも多い状況です。

まちの景観に趣をもつ自治体や文化を大切にする自治体などでは、計画において、既存の重要な文化財やまちの資源(歴史ある建物や大木など)に差し掛かる場合は、それらを避ける形で計画することや、資源を代替する、移動することにより、代々大切にされてきたものを、破壊することなく残す機運があります。


高速道路の計画においても、山間部等に道を通す場合、本来は直線的に、山を切り崩したりして道路を通すのが、交通の観点からすると効率はいいのですが、道路計画を優先するあまりに、既存の自然や文化、生活の営みを破壊することはあってはならないのです。

ランドスケープの考えにおいては、まず、道路を直線的に計画したときに問題が起こることが予測される、わかっている場合の対処法として、①道路を迂回させる「回避」、②道路機能を優先させなくてはいけないときは環境、生態系等の被害を極力少なくする「低減」、③道路機能を最優先させることで、資源への影響が多大にでてしまうときは、同等機能で置き換える「代替」という手段を講じて、資源や自然を大切にする考えが持たれつつあります。
これらの考えのことを、エコロード(和製英語) とも呼びます。


都市計画の分野においても、ペーロケでまっさらな状況で考えるのと、既存の町の文化や歴史資源を加味して考えるのとでは、土地の風景を形成する上でも、その土地の趣や歴史内容の濃さが大分変わってきます。

道路拡幅の計画においても、資源を大切にしながら計画された箇所は、往時の面影を残しつつあるので、それがランドマークともなり道路空間の質も向上します。

諏訪神社前の大木:ある意味ランドマーク的存在

山形駅~山形県庁までの道路拡幅事業において、自分が学生時代(10年前)から、いろいろと問題になっていた寺社の大木を残す、残さないの問題も、道路機能は維持しつつも大木を守り、道の景観としても活用、うまく溶け込ませた空間が出来ていたことに、非常に良かったと感銘を受けました。

歩道空間に、緑、景観という要素がより注ぎ込まれています。

一部伐採した幹は、ベンチ代わり?に活用

石のベンチよりは、この場を示す、意味するものとしてもいい。

通常、木は雨にあたると(水の吸収、乾燥の繰り返し)腐るのですが、腐らないような加工がされています。

よく見ると、年輪について年数が明記。学習にもつながります。

あまり、歴史、文化等に趣を持たない自治体でしたら、間違いなく残すことは出来なかったでしょう。
この事業を行うにあたり、いろんな立場の方々が長い期間議論と検討を繰り返したのだろうと思います。

木陰空間が少ないと言われる歩道上に、しっかり木陰空間を形成。夏場はいいですね。
都市を形成するのは、「道だけでないこと」を認識しなくてはいけませんね。もちろん、建物だけでもない。木1本においても、いろんな意味(機能的意味、文化的意味)があって植えられていることもある。

土木的な発想だけでなく、まちの形などを複合的に考えていくことができれば、同じ道づくりでも趣のある道路空間が出来、魅力ある都市空間の創造に寄与するものとなります。

2011年9月1日木曜日

宇都宮市における 都市魅力の創造へ向けて

9月1日、宇都宮市総合文化会館において
都市交通システム講演会「うつのみやが目指すまちづくりと公共交通ネットワーク」と題しまして、宇都宮市長でもある佐藤栄一氏が講師となり、うつのみやのまちを考える講習会が開かれました。



宇都宮は栃木県の県庁所在地でありますが、宇都宮という地名は聞いたことあるけど、何県?にあるのという感じで、知名度は仙台や横浜といった都市と比べると少し陰が薄い感が拭えません。

しかし、生活のしやすさなどを全国指標で見た場合、「住みよさ、民力度、財政健全度...その他いろんな項目」が1位になっていたり、上位を占めている都市としては実力のあるところが うつのみや なのです。

栃木の県民性は、典型的な「出る杭打たれる。突出した考えが出てこない」といった状況で...
立地条件や自然条件、交通条件など、全国的に見れば好条件な土地であるにもかかわらず、突出した魅力が無い、影の薄い もったいない都市 とも言えます。

「住めば愉快だ 宇都宮」がキャッチフレーズになっています。

栃木に住む、いろんな考えを持つ人、技術者がいたとしても、それをまとめる、引っ張っていくことが出来ずにいます。他の県民、他県から栃木県へ入ってきた人の印象から見ると、才能、発想という芽があっても育てていくということがうまく出来ない。と見られがちです。

今までどおりそのままで流されていていいか? そうではないはずです。
そそままそっとしておくだけでは今までと一緒です。

せっかく、好条件の整っている都市うつのみやが埋没しないよう、いろんな(要素の)仕掛けを先取りしてやっていきましょうとの趣旨でした。

そりゃぁ そうです。

いつも栃木は、他県の事例が出たとたんに急いでまねをして取組んでやったとしても、注目の機会を失ったり、ある意味大損しています。いつも二番煎じ。
こんな都市では、若者が魅力が持てることはありません。物足りないです。多少のプレッシャーがあっても知名度の高い、ステータスのある都市へどんどん流出してしまいます。


交通のことしかり、その他にもいろんなことを改善していく必要があります。
今までと同じような、従来の土木的発想で整備したらおしまい というのではなく、それを活用して持続可能な仕組み(サスティナブルなまちの構造)を創り、運用していくことが重要です。
構造物単体をつくるのではなく、それぞれのハード的資源をいかにネットワーク化、システム化していけるか。ソフト的観点がいかに連動し盛り込むことが出来るか。


今までは、そのものを単体で考えてつくったらおしまい、というような感じでした。
しかし、都市や人々の生活の場を創造していくことについては、つくったらおしまいでは無いのです。
先を見据えた都市システム、都市空間の創造をしていく必要があります。

ランドスケープ的な発想で、ヒューマンスケールの心地よい空間づくりも重要な要素のひとつであると考えます。その観点が大都市部と比べると抜けています。

栃木県民、宇都宮市民がいかに意識を変えることが出来るか?

今後の動きが楽しみです。

2011年8月31日水曜日

地方の駅周辺の「空間デザイン」はどうか?

最近は、栃木県内でもJRの駅周辺の再整備や再開発、環境整備が行われつつあります。

近年では、JR宇都宮線の宝積寺駅(高根沢町)や雀宮駅(宇都宮市)の駅および関連施設の整備が行われています。
宝積寺駅とその周辺は、建築家の隈研吾先生の作品、監修でもあり、栃木県内では、ちょっと違った新しい空間であります。


鉄道における都市(まち)の形成は、電車が走る前の蒸気機関車の時代にさかのぼり、太平洋側と日本海側では、表口がどちらになっているかの特徴が伺えます。

太平洋側では、仙台駅や盛岡駅、福島駅、宇都宮駅、大宮駅のように西側にまちが形成されています。
日本海側では、山形駅などをみると東側にまちが形成されています。

理由としては、風の吹く方向にあるようです。
現在では、電車がほとんどを占めますので、東西どちらにまちが形成されても生活に大きな支障は生まれません。
しかし、昔は蒸気機関車による煙がまちの上空に入らないよう、風上側にまちが形成されているのです。

よって、仙台駅を代表とする太平洋側では西口が往時からの市街地(青葉山方面)として栄えており、東口(海側)はあたらしいまちのイメージとなっています。
山形駅を代表とする日本海側では、東口(蔵王方面)が往時からの市街地として栄え、西口(霞城セントラル周辺)はあたらしいまちのイメージとなっているのです。


(それはさておき、本題の駅周辺の再整備について)

新しいまちを形成する上で、従来から栄えている側の口(南口だとすれば)と反対側(北口)にまちが形成されます。

区画整理事業によるものが関係してきますが、うまくいっている事例(ケース)は別にして、ほとんどが「都市計画側の規模の分析・用途の配置計画」 と 「建築や外構などの空間デザインの計画」とがヒューマンスケールにおいてリンクしてこないことが伺えます。「道路設計」もまた、機能のみの標準断面的な設計となり、より空間デザイン的要素が疎かになりつつあります。

どうしても、分析の部分とかたちの部分が切り離されて考えられてしまっているので、しっくりこないどこにでもある郊外の駅前空間となってしまうのです。

今の時代、建築やランドスケープを中心とする、まちの表情、ロケーションについて広く一般の人にも認識されている世の中。

適正な規模算定ができても、デザインが一致しない。
その逆の デザインはいいけど、規模が一致しない ということが大いにいえます。

必要なのは、どちらかが上、下の関係であるということではない ということ。

計画手法の考え方


双方の分野を理解しながら、お互いに詰めていき、利用する人の立場や心地よい空間を創造するという視点に立って計画を練ることが重要ということです。

せっかく整備するのなら、どこにでもあるような無機質な空間構成よりも、魅力ある賑わいのある駅周辺の空間の方が魅力的で人も集まりますよね。整備効果も高いはずです。

単に整備することを最終の目的地点とするのではなく、人々が居心地の良い空間を整備、創造することを目的とし、さらに次世代型の環境共生やエコなどの分野もバランスよく組み込んでいくこと。

今では、様々な高校や大学等で専門的に(建築や都市を含めた)空間デザインを学んでいる学生も多く世の中へ輩出されつつあります。従来の凝り固まった考え(画一的な考え)を打開しながら、魅力ある空間の創造に努めませんか。

トータルで計画からデザインを通して見ることが出来る技術者(役所やコンサルに限らず)が、地方にはまだまだ必要なのです。 そして、志をもって事業に取組む方が地方にもっと増えて欲しいと思います。

技術論にプラスαの空間創造論的考えを加えること、これからの建設系の仕事には重要なことです。

2011年8月30日火曜日

デザイン ということば と ランドスケープアーキテクト

日ごろから使われている「デザイン」という言葉。

デザイン = アート、創作、芸術 とおっしゃる方もいますが、ちょっと違うこともいえます。


デザインという言葉は、「方向性を指し示す」という意味合いがあり、必ずしも個々の形のことだけを示すものではありません。


都市の計画、地域の計画、公園などの園地空間の計画などについては、機能とかたちをどう組み合わせて環境を形成していくかというところのことをデザインといいます。


都市計画 を デザインで言い換えれば 「都市デザイン」 etc
地域計画、農山村計画 を デザインで言い換えれば 「地域デザイン・農山村デザイン」 etc
園地計画 を デザインで言い換えれば 「空間デザイン」 etc


上記をひっくるめたデザインは、日本ではきちんとした形で確立はされていませんが、欧米では「ランドスケープ・デザイン」と言って、それぞれの建築・土木・都市計画の分野の調整役、束ねる役として、 ランドスケープアーキテクト の地位が確立されているようです。
日本だと、公園や外構空間の限られた敷地の計画をする技術者、造園の技術者と認識されがちですが...それも含まれているけど、ちょっとニュアンスが違う。


都市やまちを形成する上では、土木的なこと、建築的なこと、都市計画的なことの建設系の他に、地域文化のこと、自然のこと、生活のこと、経済活動のことなどが、複雑に絡み合って形成されています。

デザインとは、ものの形のことだけでなく、機能やいろんな分野のことをひっくるめてプランニングする意味も含まれています。

2011年8月29日月曜日

ランドスケープデザインの仕事

ランドスケープデザインの仕事

従来の考え方では、建築や土木の下に付随する一領域としての認識で、造園というくくりで表現されてしまっていました。

日本では造園といえば、建物に付随する庭園や箱庭など限られた閉じた空間での設計や施工のことを示されがちであります。

地域のグランドデザインをする仕事といえば、土木や都市計画であるという方もおりますが、土木は、土木構造物を用いて人間を中心とした人々の生活空間をつくること、都市計画といえばある法令や決まりに従い机上での分析、解析などを用いて面的にも形をつくる計画のこと(だけではありませんが...)になってしまいます。

現在においては、20年前ごろの考えと比べると、空間デザインやまちおこしなどの志向は入りつつもそれぞれの分野でその領域を主体に独立して考えられているので、まだまだ付属分野という考えが世の中から払拭されていません。
(業界内に働く、熟年世代や地方技術者では、従来のくくりでの考えで凝り固まってしまっている人が多い状況。またそれらを理解できる環境におくことも出来ない状況でもあり...。)

本来のランドスケープデザインというものは、自然や地域、風土のこと、建築、土木、都市計画のことなどをひっくるめて、グランドデザインの方向性を導き出すこと、人間だけでなく、自然の恵みの恩恵を考えながら都市や地域の文化を創出していくことが本来の姿であるように思います。


例えば、自分の通っていた東北芸術工科大学では

ある意味、都市計画や建築のこと、造園的なことを広く捉えた「環境デザイン」という分野を専攻し、いろんなことを頭脳だけでなく感覚的にも学び、地域の方々と交流しながら生活文化のことを含めて考えることをしましたが、そのことが21世紀型の「ランドスケープデザイン」という分野なのだと自分は理解しています。

実技的なことを学ぶ大学もありますが、自分のいた大学および研究室ではそれよりも地域の本質を肌で感じ、将来の活躍できる技術者を輩出するという目的があったのではと、今になってわかってきたような気がします。
従来の業務的な技術、仕事の方法については、社会で鍛えられますが、根本的に世の中の出来事に関心を示す、考えるということは、社会になってからでは組織の考えに染まってしまい、凝り固まった考えになってしまうのがオチです。

ひとり立ちしても恥ずかしくない、考えられる技術者、プランナー、デザイナーになりうる人材を多く世の中に輩出することを念頭においていたのではと思います。


ランドスケープデザインとは、箱庭や公園をつくるだけの仕事ではない。もちろん、従来の箱庭や公園を造っていくことにも寄与しなくてはならないのですが、ポイントの整備だけでなく、面的な建設技術のことだけでなくいろんな事象を重ね、トータルにプランニングするのがランドスケープデザイン、地域デザインというものなのではないでしょうか。

また、中央で働いている、地方で働いている、企業で働いている、大学で教鞭を執っている様々なランドスケープデザインにかかわっている人どうしが、お互い共通認識を持ってこの業界、この分野について本来の姿へ近づけられるよう、新しい息吹を世の中に吹き込んでいくことがこれからやっていかなくてはいけないことのひとつなのだろうと思います。

2011年8月28日日曜日

東京郊外のまち と 地方都市、地方郊外のまち の違いから考えること

東京より半径50~60km圏内のまちのつくりは、東京や横浜、さいたま、千葉など都市への鉄道による通勤形態が、まちの活動様式を生んでいる、形成しているとも言えます。

北関東や東北の都市と比べても、ひとつひとつのスケール、まちの濃密度が異なっているのがわかります。

主な移動交通手段が鉄道による都市圏は、駅の周辺に小規模な商店が集まり、商店街を形成し賑わいや生活感を感じることができます。

地方都市では、車社会への移行により地方路線の鉄道駅周辺の商店街は寂れてしまい、郊外型店舗へ人が流れてしまっている状況です。

鉄道により人の行き来ができる都市をはじめ、観光地もそうですが、歩くスケールでのまちの姿を見ることができます。

例えば、路地空間とその両脇に並ぶ商店街においては、路地空間が広くない分、お店と路地を歩く人の距離も近い。
その中には、そこの土地に住んでいる者どうしが顔見知りだったり、その中でのなにげない交流も生まれているのだろうと感じます。
まちの魅力とは、人で賑わう傍ら、その中に人同士の交流、やりとり、歩いていて楽しいスポットや目を引く建物があったり、空間があったり...。

幹線道路の歩道ひとつにしても、北関東とはちがう...。

千葉県市川市役所近くの緑陰空間と歩道。
幹線道路(国道14号)沿いにもかかわらず、大切にされている。

幹線道路で車の行き来が多いですが、樹木が切られず守られているのが魅力的な空間をつくっています。

程良い、囲まれ感というか、空間にさみしさや飽きのこない日常のまちなかの生活空間が過疎化が進んでいない都市では、形は時代が進むにつれいろいろと変わってはいますが本質は残っているのではないかと思いました。


宇都宮などの地方都市では、自分たちがこどものころ(20年前ごろ)は、商店街やアーケード街も人でたくさん賑わっていたようです。
自分の地元の小見川の商店街や佐原や銚子の商店街、街中のデパートも多くの人で賑わっていた記憶があります。(親の車ではなく、自分たちで自転車や電車でちょっとした買い物へ出かけた記憶があります。)

しかし、現在は幹線道路沿いの商店街は人がいなくなり、車が通過するだけとなりシャッター街となってしまっているのがさみしい限りです。
地方においては、都市部と違って鉄道+徒歩の方が完全に車へ移行してしまっているのが、昔ながらのヒューマンスケールの町場空間を維持することが困難になってしまっているひとつの要因にもあるかと思います。

都市部では、車社会への移行もありつつも、公共交通利用+徒歩の社会も維持できていることが、まちば空間の賑わいを時代に追従しながらの変化がありつつも維持されています。

まちばの賑わいと、その中にある数少ない緑空間が大切にされている。
地方都市の街中では、周辺に山なみなどの緑が見えるかもしれませんが、まちばの緑空間としては実は都市部よりも少なかったりします。

歩いて魅力的なまちとは。

地方都市、観光都市でも、他地区(都市部など)から鉄道により来訪される姿が見られます。
目的地は、主要な観光スポットだとしても、まちの魅力が「点→線→面」になるにつれ、より一層そのまちの魅力が増すことでしょう。
主要な観光スポットも、時代が進むにつれ魅力度も変化していきます。魅力的な空間が点でなく、面で構成されれば、時代の追従に従って魅力的な空間へ変化させるべきところはその時代ごとにつくりつつも、守るべきものは守り、次の時代の魅力スポットになるために温存していく。それらのまちを持続させていく要素、サイクルを考えて行かないと、ポイントでその時脚光を浴びた魅力が陰ってしまうと途端に魅力がない都市、地域になってしまう。

地方では、特に地域デザインというよりも、従来の土木建設的な思考が強い感じがします。
屋外空間、まちば空間、都市空間はハードなことだけでなく、人々がその地域で働き、交流し、生活ができるということが、魅力的なまちになる。ということだと思います。
ハードだけ、ソフトだけでも...双方が連携しないと。
それがトータルプランニングにかかわる「地域デザイン・環境デザイン」というこれからの時代を抱える新しい分野なのだと思います。

いままでいろんな事象を調査・観察・分析しまとめた学術的なことと、現実的な仕事における実務的なこととがうまく絡んでくれると、双方から、お互いのことを理解できない、使えないとけん制し合って事が進まない、ということを無くす、少なくすることができるのでは無いでしょうか。

同じ考えるエネルギーを使うのなら、建設的にものごとを進めた方が時間的、労力的にもエコなのでは。 と、思ってしまいます。

2011年8月24日水曜日

夢や希望を与えることを忘れないで!!

日本の様々な分野における技術的なこと。

現在、いろんな狭間で方向性が定まらない状況にあります。

震災の復興しかり、公園緑地などの空間の計画・設計・施工の仕事しかり。

ランドスケープの設計の仕事は、専門的に高校や大学で学んできた学生ややる気のある若手が職に就けない、職に就けても生活が苦しい状態も...。
まだまだ受け皿として、職としての確立が広く出来ているようで出来ていない状況であり、心苦しいです。

順調にいっているのは、ほんのわずかの有名どころだけといっても過言ではありません。

ですが、これからの将来を担う若手技術者に、年齢関係なく現役で働いている世代は、少しでも希望を与えられるようにしていかなくてはいけないことは事実だと思います。

建築、一般土木、ランドスケープの設計をはじめとする専門的な会社をうごかしていくのであれば、技術的なことや将来的なことを踏まえて技術者を大切にして欲しい。

そして、希望をもって働く若者のためにもベテラン技術者は、技術的に任せることは任せる。足りないところは考えさせるようにサポートをきっちり行う。疑心暗鬼させるようなことはしないよう心がける。

どんな世界でも人をぞんざいに扱うと、そのしっぺ返しが必ず来ます。
今の若い世代は、熟年の大人たちの行動を冷静に見つめています。
自分たちの世代のためだけでなく、これから支えていくであろう若い世代のこと、全体の世代のことを広く見つめ考えませんか?

2011年8月22日月曜日

言葉づかいの大切さ

建築や公園のプランニングの仕事は、クライアントと話をし要望を聞き取ったり、提案を行ったりと様々なコミュニケーションが生じます。

プランニングは「ピカイチ」なのだけれど...


クライアントから見て幻滅してしまうものとは。

① 言葉づかいが乱暴。横柄。上から目線でものを言ってしまう。

② 名刺交換や書類提出時のしぐさ。手を添え方、お辞儀の仕方などが乱暴である。

公共の仕事をする人は特に、一般のお客様を相手にすることが少ないことから、上記のことが抜けがちであります。若手がきっちりしているのに、上司がきっちりしていないと、その会社の印象はとても良いとは言えません。その逆で上司がしっかりしていても、対応する技術者の対応が良くない場合も言えます。

お客様だけでなく、下請けの技術者や部下に対する言葉づかい、その他対応についても一緒です。

言葉づかい(聞き取りやすさも含めて)や繊細なしぐさを出来ているか、出来ていないかで、その人やその会社の印象、見方がだいぶ変わってきます。印象だけで信用できる、信用できないという判断が下されることもあります。

同じ技術力、提案力であるのなら、きっちり、丁寧な対応の利く技術者の方か印象がいいですよね。

忘れがちでありますが、仕事上で重要なことのひとつです。

若いうちは、修正が利くけど、年をとってからではなかなか修正できません。
若いうちにいろいろ経験して軌道修正出来た方が、自然と意識しないうちにきちっとした技術者なれる(なれている)ので得です。

2011年8月21日日曜日

地方中小企業 と 中央大手企業 の資格格差より思うこと

建設系の仕事(都市などの計画もの、建築、土木、造園の設計、施工)においては、地方中小企業では資格を取得するための教育は、中央の大手企業と比べると皆無に近い状況であります。地方中小企業に勤める技術者は、独学などにより資格試験の勉強を学んでいるのでどうしても中央には勉強の要領も含めて敵(かな)わない状況です。
かかわっている建設プロジェクトも中央と比べると限られ、実体験することも出来ないので、頭だけで考えても身に付きにくくなかなか実感がわかないのというのが実情です。

中央大手企業と地方中小企業では、資格取得のしやすさの面では雲泥の差が生じてしまいます。
大手に勤める技術者とは別の意味での苦労が絶えません。

資格制度についての不公平感、その他の不公平感など、末端ではいろんなしわ寄せが来るので正直苦しい状況も多々あります。

「地方の格差はつきものであるが...打開はできないものか」

苦しいところで努力している人の方が、人間的にはすばらしいのですが、教育システムが整っている大手の方が資格が取りやすい。社会の理不尽さが残念でならないです。

本当は資格を持っていることよりも、その人の仕事に対する姿勢(人間性)が問われます。
資格と実益のミスマッチというところでしょうか。

中には資格を持っていることを盾に、あごで人を梃子のように扱う技術者(なにもしない技術者)もいます。が、いずれ信用を失い、反感も喰らい、人も離れていってしまうのが事実です。

ですから資格があっても、技術力もしかり人間的にも良くないと、いろんな意味で仕事は出来ないんです。
実際に、コントロールしているだけの人よりも、詳細に積み上げて仕事をしている現場の声の方が現実的で説得力もあるんです。

自分は一緒に仕事をともにするのであれば、資格を自慢する人よりも仕事の内容で苦労話などを自慢する人の方が、技術魂、玄人魂があって内容も充実、高い質のものがつくりあげられる(パフォーマンスが高いものを提供可能である)ので苦労人の方が好きですね。

2011年8月19日金曜日

地方でデザイン的な仕事は実現可能か?

最近の傾向として、華のある仕事は建築やランドスケープ、土木的な分野においては民間開発ベースのものが優位性が増しています。

人の集まるところには、付加価値として形をデザインしたもの、造形物を設置することに理解もあり、人の目にもとまりがち。

地方では民間開発ベースのものが少なく、どちらかというと公共整備ベースのものの割合が多く占めます。



土木やランドスケープの分野においては、地方ではなかなか数をこなす機会に恵まれなく、空間を創造する力、思考力を業務の中で訓練していくことは難しいことも言えます。

せっかく、空間を創造する機会のある仕事でも、いち土木的な技術視点のみでこなされてしまうこともあり、空間整備する意味合いが薄れてしまうこともしばしば。
(業務を請ける会社側の技量にもよりますが、発注側の仕組みについても多少問題はありそうです。本当は、専門的な業務はそれをこなすにふさわしい会社を指名に入れるべきなのですが、地方では会社のコマも少なく、造園、土木の会社がひとくくりにされてしまいがちな一面もあります。そして、専門的な会社も少ないのも事実であり、どうすることもできない状況でもあります。)


もし、学生のうちに設計課題などで空間を創造する機会があったときは、いろんな思考力を働かせて考える力を養ってください。そうすれば、地方でも数少ない業務の中において、何らかの形で創造力を活かす事が可能な物件にめぐり合ったときに力を発揮することができると思いますので。


地方でも、学生のときに建築、土木、ランドスケープデザインの基礎を学んだ方々が、社会に入って将来的に業界全体を底上げすることに寄与することができれば、地方の抱えている技術の低迷や思考力のマンネリ化は多少なり軽減できるはず。

少しずつでも、従来の考え方を打破していきながら21世紀型の新しい考え方を採り入れていければ、専門で学んだ学生さんを業界で受け入れることも可能でしょうし、すでに業界内で働いている人にもこのままではいけない、従来の考え方だけではいけないという危機感を覚えることにもつながるのではないでしょうか。

地方では、確立された技術をこなすことができても、創造論的なものがまだまだ弱い感じがします。デザイン的なものはなおさらです。

自分も学生時代の方が、発想が自由で豊かだったなと感じるくらいですから、地方の建設系業界はまだまだ発展途上なのでしょう。
そして、学生時代の頑張りの方が華があったと感じてしまうさみしさがあります。

「他地方のデザインを見て、自分のいる地方のデザインの良し悪しを考える。」 

閉鎖的な環境に慣れてしまわないよう、地方で建設系の業界で働くときはできるだけ視野を広く持つよう、行動範囲を地域に限定することなく(もちろん、地域を十分見ることは必要)、いろいろ見てまわる、見て学ぶことが必要です。


都市部に勤める技術者よりも、情報収集面で苦労することのないよう、人一倍アンテナを張り頑張らなくてはいけないのが、地方でやっていくための技術者に必要なことであります。

2011年8月18日木曜日

地方都市で専門的な技術者を育てる土壌づくりは? 【仕事の話題系:提言的なもの】

現状においては、都市計画、建築や土木、造園などの建設系のコンサルタントと呼ばれている会社では、ほとんどが末端の実施設計分野にしか携われないことが多くあります。
そして、梃子(てこ)的な業務にしか携われないことも多く、一部コンサル以外の大多数の建設コンサルは技術的な成長速度に足踏みをしている業界全体の状況であります。

結果、地方コンサルでは計画や構想、デザイン分野の思考がなかなか育つことの出来ない状況です。


現在、若者の中では、大学等で専門的な勉学などをこなし、きちんとした考えを持っている将来の技術者は沢山います。

問題なのは、その将来の技術者の雇用、受け皿、専門的知識を育てていく環境に乏しいことであります。ある意味、専門的業種における雇用のミスマッチも起こっています。

まずは、今までの末端の仕事しか、パターン化された仕事しか出来ない環境を改変していくことが必要です。
これらが改善されないと、企業に属している技術者の成長も見込めず、東京などの大手、専門コンサルでしか専門的知識が蓄積されないという循環に陥ってしまいます。

本来、地場のことは地場に暮らす人、地場の技術者でしか知りえない情報が沢山あります。
地域性を創出することは、これらの地域情報をいかに専門的知見でつくり上げていくか、それができないかで、地域が活性化する、衰退していってしまうことにつながっていきます。

地域文化と専門的知識がリンクすることが重要なのです。それが地域を創出する、地域風土を形成することにつながります。


「大学などで勉学をしてきた若者の新しい知識、感性を採り入れること。希望を持つ若者を育てていくこと。」

これができるかできないかで、その地域が今までと同じような単なる都市部の梃子(てこ)的な業務しかできないか、地方でも斬新なことを考えられる一目置かれる業務ができるようになるか のどちらかになってしまいます。

自分の会社のことだけでなく、地域や業界全体のことを見据えながら問題意識を持って、地方の技術者は日々考えることをしていかないといけないと思います。

全体的なものを見据えながら、地方の技術者でも可能な細かい、痒いところに手が届く。というのが地方技術者の利点だったのでは?


【東北芸工大の卒業生で例えれば】
東北芸工大で、環境デザインを学んできた卒業生、現在現役の技術者は、それぞれの地方で今はいろいろと苦しい状況、逆境にある方も多いかと思います。生活していくのもままならない状況も。

それにめげずに頑張っていくこと、辛抱強くやっていくこと。そして力をつけていくこと。

東北の地「山形」で、純粋に専門的なことを学んできた蓄積、ノウハウ、感性、我慢強さがあるのですからこれらを基礎として、これから先を担う後輩たちへの将来の門戸を広げていくことが、専門分野で働いている技術者(卒業生)の使命でもあると思います。

都市部だけでなく、地方部でも活躍できる場をつくっていくこと。
地方が疲弊しないためにも、多くの将来の技術者を育てていくことにおいても必要なことです。

専門的分野を学んでも、その志が実現できない状況では、せっかく学んだ多くの知識が無駄になってしまいます。

ある意味、そういう状況にしてしまっているのは社会全体の責任でもあります。できることから少しでも、それらの良くない状況を改善していかないと、社会の不公平感の払拭や理想を追及していくことに繋がっていきません。


【若手技術者を育てていく環境づくりを怠ると...】
若手技術者を単なる梃子(てこ)にしか扱わない状況では、その若手技術者も育っていきません。考えさせながら実践をし、その不足する面をカバーするなどのフォローも必要です。考えながらでないと、失敗の経験が活かされる事無く、同じことの繰り返しになってしまいます。
ベテラン技術者には子供をうまく育てるのと同様に、若手技術者の育成にへも力を注ぐ、考えることをしていかないと、会社や業界自体が尻つぼみになってしまいます。

トップダウン形式でも、ボトムアップ形式だけでもない。それぞれの良し悪しを理解し、その状況にあわせた使い方をすることです。
横から目線という新しい発想も...なでしこジャパンから学んでいますよね。

今の時代、「みんなで力を合わせながらアイデアを出し合い、これから役に立つ創造的なものを造っていく流れ」 です。

地方でも、専門的な分野の業種をこなすことが出来るよう、情報ネットワークの構築、いろんな情報や知見を知ることが重要です。
地方の閉鎖的な状況、ガラパコス化も地方の特性を出すにはいいかもしれませんが、それにしても、外の状況をみて、その地方の良し悪しを見ることは忘れてならないことです。

そうでないと、地方を愛することができない。
表面上はそういいつつも、中身的には充実していなく地域特性を創出していく仕事はできないのです。

地方に足りないものを、中央からの上から目線だけでなく、地方からも考えていくことがキーとなります。それが実行できなければ、いつまでたっても梃子(てこ)のままの地方技術者、格下な地方の建設業界になってしまいます。
また、力のある若手、精力的な若手技術者が地方に就職しても地方の業界に幻滅し、最終的には都市部や専門的な他社のコンサルへ流出してしまいます。
地方で抱えている人口流出の問題、地方の衰退にも多少なり加担してしまっています。
(それは、魅力的な働く環境、専門コンサルがないからではないでしょうか。)

公園緑地・ランドスケープデザイン領域の仕事で言えば、地方ではまだまだ土木の一領域ととらわれています。
専門で学んできた人や、この分野に関心のある人が設計に携わるのならいいとしても、それ以外の専門外の技術者が、道路・河川と同じような感覚で公園を設計してしまい結果的に失敗してしまうことが多々みられるということで、地方ではまだまだ専門分野が成熟しきれていません。

各専門分野の底上げの為に、 少しでも、
「高校や大学で専門的に学んできた若者や関心のある技術者にこれらの設計をやって欲しい。」 
というのが、本音です。業界の技術力、発想力、思考力、創造力の向上のためにも。


これから社会を担っていく若者、後世の世代につなげていくためにも、従来のやり方を見直しながら、これから先21世紀型の地方の新しい仕事のやり方を一人一人が自覚をもってやってみませんか。

地方において専門的な仕事の土壌を耕していくことも、地方で働く技術者、現役世代の役割なはずです。
自分も含めて、カツを入れていかなければ!!

2011年8月5日金曜日

人を動かすためには、自分も動く(かなくては...)

仕事の世界や、日々のプライベートの世界においても人の協力を仰いで事を進める場面は、日常的に多くあります。

クラブ活動、部活動においても同様なことが言えたはずです。

仕事において、人を動かす、協力してもらう為には、自分の方から骨を折る覚悟で物事を進めないとうまくいかないことも多々あります。

give→give→give(相手へ与えるだけ) だけでも自分が疲れてしまいますし、take→take→take(相手からやってもらうだけ) だけでも、自分が見放されてしまう。
give & take の日本でいう「モチツ・モタレツ」 の関係を築いていくことが、仕事や物事を円滑に動かす為に必要なことであります。

先日の設計に関する講習会においても、最終的には人である。ということをおっしゃっていました。
その人の仕事に対する姿勢や、人を上手に動かすことに対してどうあるべきか。を考えさせられますね。
(仕事だけでなく、いろんな場面でも同じですね。)

いくら上の立場であれ、客の立場としてであれ、横柄な人には、その場限りで人はついていきません。

会社を動かすこと、地域を動かすこと、イベントを動かすこと...。

うまくいっているところは、一つの要素として、(率先して動くメンバーがいる、モチツ・モタレツが実行されている)そこのところが大切にされているのだろうと思います。

2011年8月3日水曜日

設計の仕事とは どういうこと?(資格や業務の考え方)

とある、設計技術者向けの講習会でのお話。

設計の仕事に関する話題があり、自分の周りの仕事環境にあてはめて考えてみました。

資格を持っていればいいか?

資格は、他人から評価される上での一種のバロメーターとなりえますが、現実問題として時代の流れについていけない有資格者よりも、仕事をきっちりこなす時代のニーズを把握した若手技術者の方が、評価されることも多くあります。
しかし、仕事だけできればいいかというと、はじめの印象も大きく左右されてしまいますので、資格をもっていることに越したことはありません。
(きっちり仕事を対応してくれるということを相手方に理解していただける、信用されるには、長年の積み重ね、対応が必要になってしまいます。自分の経験的には、資格があればもっと効果的だなと感じているこのごろです。)

一番問題なのが、資格を持っていることを自慢して、仕事をきっちりこなさない(こなせない)技術者のことであります。
資格を持ったのなら、その実力を実行して資格に恥じないようきっちりこなしていくことが一番大切です。仕事をこなせない、技術的なことを提案できないのであれば、その資格について自慢することは逆効果にもなってしまいます。気をつけなくてはいけないことの一つです。


(講習会の内容を解釈すると)
設計とは、
技術だけわかっていてもダメで、仕事をうまく進めていくための手法、段取り、人と人とのコミュニケーション能力を持つことが非常に重要なこと。

企業の儲けを第一優先的に考えてしまうと、結果的に信用を失い、指名にも入れてもらえなくなり結果業務をとるきっかけを失ってしまうので、企業の経営状態も悪化の一途をたどってしまいます。

品質を保ちつつも、会社の経営に大きく影響を及ぼすことなく、信頼を得られる仕事をこなしていくことが、結果的にも入札指名にもつながり、評判にもつながっていくので、技術者の利益をはじめ会社の利益にもなりえます。
(技術的なことだけでなく、営業的なことでも同じです。)

常日ごろ、自分の身近で(良くも悪くも)起きていること考ると、日々疑問に思っていることが、全く当てはまってしまう状況で、考え方は間違っていないものだなと感じた次第です。

後は、可能な限りレスポンスを良くすること。(ワンデーレスポンス)
ワンデーレスポンスも内容のある、的を得たレスポンスの方が望ましいです。
内容の薄い勢いだけの同じ繰り返しのレスポンスはかえって相手を失墜させてしまいますので注意です。

PCに翻弄(あたふた)されることなく、いい意味でPCも駆使することでスピード勝負に立ち向かえるようにし、かつ知識の引き出しを多くすることが、打ち合わせ時にも話題が途切れることなく、別の視点から話すこともできるようになるのでより説得性が増します。

自分も、まだまだ。
今の現状に満足してしまっては技術者としても成長は止まってしまいます。業務をこなす傍ら、探究心を持ち続けることが信頼される技術者になるための方法のひとつです。

普段より業務をこなしていれば、いずれ自分なりの答えがきっと出てくるはずです。人に言われてからやるのではなく、自分で考えながら進んでこなしていくことが重要ですね。

2011年7月31日日曜日

東北 山形から学ぶ

学生時代にいろんなことを学んだ山形という土地柄。

ここには、首都圏にないなにか心が純粋になれる魔法があるかのような温かい土地柄であります。

大学においては、周辺が緑や山で囲まれ市街地が一望できる環境にあることが、大学で学ぶ学生さんの方々には一つの大きな財産になっています。

大学敷地内から市街地を眺望できるスポットはたくさんあります。

環境デザインの分野においては、東京などの首都圏と比べると著名な建築や公園空間は確かに少ないかもしれませんが、山形のおおらかな大地がフィールドとなっていろんなことが学べるはずです。

四季折々の自然環境、歴史的なものが大切に守られ現代にも活用している建物、地域の文化とその土地の方々との文化的交流、などなど。

現在も大切に活用されている旧山形県庁「文翔館」
大江町左沢の農村風景
山形の市街地にできた蔵を活用した観光スポット
いろんなことを学ぶということは、頭で考えているだけではなく、実際に行動してみる、足を運んでみる、人と接してみる、話してみる、目で実際のものを確認することも重要な要素の一つであり、本やインターネットで調べた内容とはまた違った発見があります。

東京などの都市部では、人と交流したり実際に物をみることはもちろんできます。
都市部では、クラッシュとビルドのスピードが速い分、同時に大事なものを忘れてしまう、失ってしまうこともあります。

地方に残っているもの。本来人間が築き上げて成熟させていったものでもあります。
山形などの地方都市や農村環境では、都市部にない自然のこと、風景のこと、温かい人と人とのコミュニケーションが残っているのです。

地方で学べる環境にあること、そして同時に中央のことも知識として教えて頂ける先生方もいる。
これは芸工大や山形の大きな財産。

ですから、関東に身をおく自分にとっては、原点に戻れる場所が山形であり母校の大学でもあるのです。

2011年7月22日金曜日

社会人なってからわかること や 後悔すること

学生時代は、建築やまちづくりなどの課題に一生懸命になって取り組んでいた自分があります。

少なくとも、今現役の学生さんも同じような状況にあるかと思います。

一生懸命に、将来の夢や希望に向かって自分を推し進めることは非常に大切なこと。


では、社会人になってその情熱は学生のとき同様に活かされるか、周りも理解していただけるか というのが課題となっています。

学生のときは、その専門の道を進みたいという若者同士が集まって切磋琢磨して、創造力も働かせていろいろと課題制作や論文作成、課外活動など多岐に渡り行うことがあたりまえの環境でもあり、そして理解も得られやすい状況にありました。


社会人になってからは、どうか。

建築や都市計画、ランドスケープデザインなど、学科で学んだことを活かす事が出来る会社や設計アトリエ、設計事務所に入れることは、並大抵のことではありません。ましては、今の時代は10年前と比べてもっと社会状況は厳しい。

理解のある会社や設計アトリエなどで、創造力を働かせた仕事、自分から進んで取組める仕事に就くことができれば、学生時代に訓練された思考力や行動力は活かされることが多く、人生も順調に、専門の資格もとって活躍している人間になっていることでしょう。

しかし、現実には会社もよりますが、縛りが強い会社も多いのが実情で、学生時代の情熱、創造的な仕事への情熱などに理解のない会社もあります。結果、その会社の内部だけにとどまらせて(かくまってしまい)次第に技術力も、発想力も失われていってしまうこともしばしばあります。


後悔しないためにも、自分にとっての将来を良く考えること。

半分は勉強できる環境におくことも重要です。どうしても、会社のコマになることだけ考えると、技術の向上という面では限度、限界があります。
第一線を担う技術者は、業務をこなす傍ら、勉強や研究などにも熱心です。(技術や知識の強化はもちろん、創造力を持ち続けています。)
就職活動で(限られた情報の中で)仕事としてやりたい専門業種について見極めることは、なかなか難しいです。
その中でも、人生後悔しないためには、これから勤めようとする会社、設計アトリエなどについての性質や仕事環境をよく研究、下調べすることも必要です。

自分の場合は最初は(精神的には)鍛えられた反面、(技術的には)損してしまった部分もあります。それは仕方のない事でもありますが、いち地方の土木設計会社では、空間デザインや特殊な設計をする機会にはなかなか恵まれにくいのが事実です。また、閉鎖的な仕事環境になっていることもあります。

ある程度見極めた上で次のステージに はいあがれる様、常に向上心を持つことは重要です。
社会のプレッシャーやしがらみに負けないよう、継続して努力することはとても大切です。

社会的には出る杭打たれるという状況もありますが、それにめげずに技術力、想像力を高めていけば、ゆくゆくは打たれてもへこまない丈夫な杭になっている(技術力や想像力で他人を寄せ付けないくらいのレベルまではい上がっている)ことでしょう。
ただ、やみくもにやって蹴散らかすことはあってはならないことなので、そこは注意です。

ちょっと重たい話になってしまいました。

設計の仕事は、技術力、創造力、研究心を持ち、自分の芯(信念など)を忘れずにやっていくことが重要ということかなと、自分なりに解釈しています。

2011年7月17日日曜日

学生時代の経験は、何らかの形で活きてきます。(芸工大:建築環境デザインの場合)

建築・土木・公園などの企画や計画、設計において、活きてくるものがいくつかあります。

今の仕事で学生時代に身につけたものが糧になっているものとして、

① プロポーザルや企画書を書くときのデザインセンスや配置バランス、色使いへの配慮
(設計課題の作成でだいぶ鍛えられました。その他、新聞を作成したり、研究のレジメや要約を作成したことも、感覚として身つけることを学生時代に訓練させられたことが、今に活きます。)


② 地域のことを考えることについて
(まちについて考えることや、地域を盛り上げていくこと、人々のの生活、営みを把握しながらも歴史、文化をどう残していくか、どう現代に活用させていくべきかを 考える思考や感覚がまちの空間を考える仕事へも結びつきます。)

③ ディテールへのこだわりや、形を想像する感覚
(建築や都市計画、土木、造園に限らず、人々の生活する場、憩う場を形づくっていく創造的な思考や感覚。建設系の業界を離れたとしても、形や構想をバランスよくまとめることはきっと役にたつはず。)

④ 疑問に思うことを、何らかの形で実現、改良していこうという行動
(今の現状に満足することなく、解決の糸口が見つからないかを探求する感覚。ひとそれぞれですが、何かやろうとする人には、そういうプロフェッショナルな人が集まってくる不思議な現象もあります。自分はまだまだですが...。)

芸工大で都市計画や建築、ランドスケープの課題を通じて学生時代に培った経験や技術は、建設業界に限らず、決して無駄にはならないかと思います。
少なくても、考える力、創造する力、まとめる力、構成する力は訓練されているわけですから、どのような業界、社会においても必要なこと(さわりの部分)を一通り経験してあるはずです。
(専門分野の思考を突き詰めていく技術のほか、締切までに間に合わせる技術。限られた時間で考える技術など)

社会人になってからは、それらの考え方を糧に、考え方の基礎の一部にして、自分なりに工夫して経験を積んで家庭をはじめ、会社や社会に貢献できる人間へ成長するものだと自分なりに思います。


人によって考え方も違いますが、自分は学生時代に経験したものを土台として、それよりも内容の濃いもの、役に立つものを追求していくことを忘れずに邁進する限りです。

(単純に、与えられたものを無難にこなすだけでは満足いかない、納得できない感覚が植えつけられているのかも。(笑))

2011年7月11日月曜日

歴史の面影 と 魅力的な都市づくりへ向けて

今、様々な地方都市では中心市街地の衰退や、市街地空間の陳腐化など、様々な問題を抱えています。

自分が現在住んでいる宇都宮についても、同様なことがいえ、
学生時代に住んだことのある、山形についても、昔と比べて郊外が賑やかになってきています。

都市の構造をみると、宇都宮も山形も現在のJR駅を中心にL型の都市骨格をしております。
中心部の魅力をこれから先、どのように進めるべきか。

まずは、都市の構造的な特性を把握していくことが必要です。
 (ざっくりとくくると一般の人から見れば、都市計画のような分野のことです。)

宇都宮は関東地方なので、太平洋側という立地状況から駅から大通りが西へ延び、県庁前交差点を北側へ行くと県庁があります。昔は市役所も近くにあったそうです。

昔あった栃木県庁(2003.08当時) 今は正面が一部残っているだけで建物は変わってしまいました。

山形は東北の日本海側(東北の太平洋側は仙台)なので、 駅の東側へ大通りが延び、七日町の交差点を北へ向かうと、旧県庁(文翔館)と市役所があります。

旧山形県庁(文翔館)
都市の骨格(山形と宇都宮) 距離や形はデフォルメしています。形のイメージとして。

どちらの都市も、往時の土木県令・三島 通庸(山形、福島、栃木の県令を務めました:県知事のような地位)の影響を受けているような感じです。
昔は、蒸気機関車の煙が都市部へ流れ込まないよう、風の方向を考えた都市づくりが行われていました。

その他、共通することは。
城址公園があることもひとつ。

宇都宮城址公園は、最近お城の一部が復元され公園化されています。
昔はアイススケート場があったという話も。

宇都宮城址公園(一部の土塁とお堀が復元されています。)

山形の霞城公園(かじょう公園)は、現在お城の復元工事をしています。
今も、体育館や野球場などの施設があります。

霞城公園(山形市)の内堀にある木橋と城壁


霞城公園内(山形市)にあるお堀のライン
昨日、霞城公園へ見に行ったとき、宇都宮城址公園と同じ手法で、お城のお堀の位置、城壁の位置が記されているのがありました。

宇都宮城址公園内のライン(右側の側溝の右脇)

歴史的なものを見直す動きは、各地で見られています。
それをどのように、現在のライフスタイルに融合させていくかで、活性化できる、余り活性化できないのどちらにも転じるように思います。

まちについて人々の生活を守っていくこと、自立させていくことはもちろんのこと、まち全体を歩く観光資源としていくには、形はもちろんのこと、魅力的な都市づくりも視野に入れないと、つくって終わりになってしまいます。

まちにはあらゆる要素があるのです。いろんな視点からまちを見た上で、魅力的なまちあるき、街散策のできる都市が、歴史を守っていく、活用していくことにも繋がっていくのではないでしょうか。

また、住んでいる当事者や行政、学術研究者が連携し、それぞれがひとり歩き、主張だけして平行線をたどっていくことだけは避けて、建設的に物事が進んでいくことを、学生時代に建築や都市計画を含めた環境デザインを学んできたからこそ、今公園などの空間づくりの仕事に携わっているからこそ、今になっても強く思います。

きっと、それが実現できたときには、魅力的な都市が出来ることなのではないでしょうか。

2011年7月8日金曜日

栃木の観光地

東京から関東一円の観光地を見た場合

神奈川の観光地は、東京から近いこともあり気軽に足を運べるということもあり栄えていますが、栃木では、神奈川と比べると距離的にも少し遠い感があることは否めません。
震災の影響もあり、日本各地の観光地とよばれるところは、非常に大変な思いをしております。

そして、この夏の暑さにおいて、節電への取り組みによる都会での涼を得ることがなかなか難しくなりつつあります。


こういうときは、少し山の方面(標高の高いところ)へ足を運び、自然の風で涼しさを感じることは如何でしょう。

栃木では、有名な観光地として、日光・鬼怒川があります。
日光は避暑地として、日本においては先駆けとなったところであります。

神奈川が箱根ならば、栃木は日光です。

⇒ こちらの過去ブログを参照
3月1日のブログで示した位置関係
http://it-env-design.blogspot.com/2011_03_01_archive.html

神奈川と栃木では、大手私鉄によって観光地が東京と1本で結ばれています。 (過去ブログより)

10年前と比べたら、日光へもだいぶ足を運びやすくなりました。
(JR~東武相互乗り入れでも行けますし。)

JR~東武相互乗り入れの 日光号・きぬがわ号 (東武日光駅で新車両お披露目会の時)

ほか、北関東での避暑地といったら群馬の草津などもありますね。
北関東のいろんな自然やまちをみることは、意外と新たな発見もあったりします。

自然を見ること、体感すること、観光地へ足を運びそのまちの雰囲気を体感すること。
こういうときだからこそ、心を充実させる意味で必要なことかもしれませんね。

2011年6月20日月曜日

地方でないとできないこと? 中央でないとできないこと?

地方都市で、分野を特化した設計をすることはなかなか難しいことであります。ランドスケープ分野の空間設計であればなおさらです。

政策や構想などでは、東京などの中央の方や、大学などと連携を図っている研究所や事務所が強いことはいうまでもありません。

地方においては、専門的にこの分野で特化してやりたくても、ノウハウも少なく、仕事で携わることも少ない、そして仕事の量も限られているため、末端の仕事になりがちで、華のある仕事にかかわれることはごく一部しかありません。

では、地方では専門の仕事ができないか。 というと、そうでもないこともあります。

地域に根ざした計画は、その土地に住むものしかわからなく、上辺だけでははかり知れないものがあります。実際に住んで体験し、感覚として身につけないと計画だおれになってしまい中身が充実していないことも。


地方に足りないもの → 学術的な考え方や計画を行うノウハウ、技術者を育てる環境。
中央に足りないもの → 地場の考え方やその土地の風土や風習を感覚的に身につける環境。


地方では、アンテナを張ることが必要で、中央では、設計や計画をしようとするフィールドにいかに入り込むことができるかが、鍵となります。


大学の研究・設計課題においても同じようなことが言えそうです。
最近は、地方大学のほうが特色あるプランの作成に優れていることも。


地方では、中央の技術者のようになるには、時間もかかりまた遠回りになってしまいます。しかし、中央のような経験ができなくても、その土地のことは熟知している。


地方、中央とくくるのではなく、同じような志を目指している技術者同士のネットワークがあればと、つくづく思います。

設計集団として、志をともにする技術者同士が集まれば、地方でもその土地の特色を最大限いかしたより良いプランを作成することも可能です。



現状は、地方でいろいろ考えている技術者が中央に比べ横のつながりを持つことができなく、その結果、若い芽が摘まれてしまい、その専門分野を地域で発展させることができないことも。
数が多い中央では連携が図れても、地方ですといろんなしがらみも絡み難しかったりもしています。

これらを打開したいと思いつつもあり、中央で活躍している大学同期などと比べ、遠回りしているかもしれない感もあり。
しかし、一技術者、空間のプランナー、空間のデザイナーとして地道にやっていこうと思います。

継続は力なりです。

2011年6月14日火曜日

大学での設計課題の経験が役に立つとき

社会人になって、実際に設計の業務をする上では、技術的なことや具体的な理論的なものが求められることが多くあります。

自分の場合は、大学時代はどちらかというと、頭脳を鍛えるというよりは感性や感覚を磨いていたといった感じでした。
大学の課題自体も、どちらかというと疑問に思うことや感じたことを形に表現するといった感じのものが比較的多かったようにも思えます。そして、建築のことから都市計画、地域活性化、外構のデザイン的なものまで、課題やゼミで幅広く考えさせられたことが今に活きております。

実際に、バリバリの工学系の大学出身の方と芸工大などのデザインを採り入れている大学出身の方を比べると、感性の部分が大分異なっているように感じてしまいます。

土木構造設計ですと、力学的なものや数値的なものを要求されますが、公園などの空間設計をする上では、その他に感性的なものが必要とされ、それを持ち合わせるかどうかで考え方が大分変わってきます。(理論だけでも、感性だけでもダメで、両方をバランスよく持ち合わせることが重要です。)


地域の風景やまち場の景観、公園の景観など、景観構成を読み取ることに対しては、理論的考えもありますが、同時に感覚的なものも必要となります。
大学時代に、建築のエスキースや景観構成図、ゾーニング図などを描くことを訓練していたわけですから、今となっては自然とそのような形を描くことができる感じです。


平面的に検討してから、現地にて再度書き込みをします。学生時代の課題の要領が活きてきます。

学生時代の課題は、無駄ではありません。設計課題をこなしてきたことで、ベースがしっかりしているのですから、これらの経験を糧にして社会人になってからの経験や知識を積み上げていけばいいと思います。

よく、机上だけで設計をしてしまうことがありますが、空間を設計する場合は、現地に足を運んで調査をするなり、その場の空気を感じ取ることに勝るものはありません。

現地を見れば、その分「ヒラメキ」「新たな発見」も生まれやすいですしね。